Twitterに書くには長すぎる話をnoteに書いている。 ツイート文が短いほうがかっこいいと思っているから長い話をTwitterに書けず、書きたい気持ちをそのままnoteへ横流ししている。 一度Twitterを経由しないとnoteを開かないから、わたくしはきっとTwitterが無かったらnoteにも何も書かない。 いつからこんなに捻くれた自意識を持ち始めたんだろう。中学生のころにつくったTwitterアカウントは、連投もツイ消しも日常茶飯事だった。身バレの危険も考えず
旅行に行くぞ!!! ポロッ ッバーーーーーーーーン!!!!!! ああああああああああ!!!!!!!! 二泊三日するのに、一日目の朝に最寄り駅でスマホを落として画面を割ってしまいました。苦しい。 幸い画面端が粉々になっただけでスマホは問題なく使用できるため良かったのですが、別に良くはない。 スマホって割れないと思ってました。 画面バキバキのアイフォンを持ったJKを横目に見ては「ウケる(笑)」と思っていたのに、全然スマホは割れます。こちらの気持ちなんて考えず。 わた
先日絵についてのnoteをあげた。あのnote自体は衝動的に書いたものだったが、あそこで書いたことは全て長らく考えてきたことだった。 だから、別にデタラメを書いたわけではない。 あれからしばらくまた考えてみて、色々と思ったことがある。忘れぬようにそれを書き記そうと思う。 該当のnoteの内容は要約すれば、薬で創作意欲がなくなって絵を描かなくなった、それが苦しい。そういう内容。あんなに長々と書いておいてこんなに短文にまとめられることが自分でも驚きだ。 創作意欲が無くなった
わたくしは信じてない! わたくしは幽霊に対して、所謂怖い話に出てくるような不気味な怖さというのを抱いていない。少なくとも、お話として楽しく怖がることはあれど、現実だったらどうしようとまで思うことはない。 幽霊を信じていないそこの君たち、なんで幽霊は怖くないと思う? わたくしはね、こう思う。 幽霊の怖さっていうのは、人間側からの干渉が難しく人間が支配することの出来ない数少ないものであることだったり、不確かな存在に対する現実味の無さや不気味さだったりだと思うんですけど、そもそ
薬の副作用で創作意欲なんて無くなっちゃって、あんなに大好きだった絵も描かなくなってしまった。描きたいとすら思わなくなってしまった。 幼い頃からずっとお絵かきばかりしてきて、飽き性な私でもこれだけは、興味が無くなる日なんてこないと思ってた。 どれだけ大切にしてた気持ちも思い出も「生きる」ということを前に簡単に潰されてしまうらしい。私は薬がないと生きていけなくて、そのためにはこんなしょうもない趣味は捨てなきゃいけなかった。 お絵かき用のタブレット。 高かっただろうに、私のやり
横須賀で開かれている「エドワード・ゴーリーを巡る旅」に行ってきた。 前回と書き出しが全く一緒だ。 本当は展示の話を書くつもりだったのだが、気付いたらまた要らんことを長々と書いていた。 私の脱線癖は早いうちに治したい。 今回は普通に展示の感想を書こうと思う。 エドワード・ゴーリー エドワード・ゴーリーは、アメリカの絵本作家。ナンセンス文学を主とし、独特な言葉遊びや緻密なペン画などから見える高い芸術性が評価され、「大人のための絵本」として世界各国で支持を受けている。(参
横須賀で開かれている「エドワード・ゴーリーを巡る旅」に行ってきた。 私は行き先を全く調べないので、着いたときにようやく、そこが一度言ったことのある場所だとわかった。海沿いに建ち、中が透けて見える壁で覆われた美しい美術館。屋上にも出られる。 前回行った時は美しいと感動した覚えがあるのだが、今回あまり感動を覚えなかったのは曇っていたからなんだろう。 あらゆるものは晴れているとき美しく、曇っていると少し輝きを失うように思う。 先日有名な庭園に行ったときも、危険なくらいの晴天
わたくし、昨日はGoogleドライブの整理をしていましたの。あと、スマホの容量を増やすためにファイルの整理もしていましたわ。 画像をフォルダ分けして、写真は年ごとに分けて、必要であれば画像の名前も変更して。 これって誰にでもできることじゃないらしいって聞きました。偉いでしょう? ところで今週、大切な試験(?)がありますの。 ええ、昨日は1日中整理をしていましたわよ。 となると、必然的に、「ヤバい」ということになるのでは? わたくし気付いちゃいましたわ。 ヤバいですわ
あなたは今、幸せですか? 突然何かしらの団体への勧誘をしてしまい、申し訳ありません。 ですが、マジで、最近はいろんな真理が"降りてきてる"っていうか、「"気付い"ちゃった」っていうか。 あえて誤解を重ねそうな表現をしましたが(そしてそれには何の意味もないですが)、つまりはあたりまえの日常の大切さみたいなものを感じているわけです。 そして、そんなささやかな幸せに気付いてしまう自分に対して、少し悲しい気持ちになっている。 歳をとって体の自由が利かなくなってきたお婆さんの言
有名な、あるいは自分の知っている人物の文章しか読めない。長文だと特に。 当たり前だけど、知らない人が書いた一万文字と湊かなえが書いた一万文字だったら、湊かなえの方読むし。 それが実際読んだことない作家だったとしても、世間から評判の良い本なら読んでみようとも思うわけで。 というか、そもそも書籍化されている時点である程度は面白いことが保証されている。 そういう安心感のもと、私は本を読んでいる。 もし、たまたま読み始めた文章が本気の素人の文章で、それが最後まで一ミリも自分に
ここ数年、言語化することに対する恐怖心が強まってきている。 それこそ改めて言語化するまでも無いが、言葉の表す意味には明確な定義がある。だから、言葉を使ってしまった時点で、それはもう不自由の檻に自ら飛び込むのと等しいのである。 そういうわけでnoteを始めてみる。 民衆)全然理屈が通ってないじゃないか! そうだね。 民衆)それっぽいこと言いたかっただけじゃないか! そうだね。 要は小さな破壊衝動です。 Tier表で言ったらSSが犯罪、Bが個人情報ダダ漏れのSNSアカ