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大丈夫。みんな悩んで生きている。だって「生きてる証拠」だから。

自分は「そうりょ」ではありません。
何者でもない、ただのハゲアタマです。

ただ"得度"というジョブチェンジ(?)イベントを通して「おれんじのふく」を手にしただけです。

見た目のイメージで、他人様からみると「迷いなどない」姿になったかのようにお受け止め頂くこともありますが、こんなハゲアタマなりの、ささやかな悩みがあります。

自分に寄せて頂く苦しいご相談を前に、ただメールをお戻しすることしかできない自分は、それでいいのだろうか。

「オマエは、それでいいのか?もっと、何かできるはずなのでは?努力を怠っていないのか?」

佐々井上人のように、さらに踏み込んで、何か行動に移していくべきではないのか。

そういう自分が、時に脳内で声をあげます。

一方で、ご相談を頂く方が「こんなちっぽけな悩みなんかを相談してしまって…」と恐縮されることも多々あります。

ですが、どのような内容の悩みであっても、
悩みには大小などなく、御本人にとって悩ましいものが、その方の人生にとって大切な悩みであると、感じております。

そしてつくづく
「生きるというのは悩むというプロセスなのかも」と感じます。

こうありたい自分と、思う通りではない自分とが、常にあり、
その願い/希望/期待と現実の間で悩ましい連続。

そんなふうに、人は、生きている以上は「悩み」は消えぬものではと思うのです。

赤ちゃんがむずかるのは、お腹が空いていたり、ウンチがお尻に違和感を感じさせているから悩ましいのかもしれません。

カップルがケンカしてしまうのは、このまま一緒にいたい思いと、いつか別れがあるかもしれない不安とで、悩ましいからかもしれません。

おじいさんが怒りっぽいのは、いままで当たり前に動いてくれていた身体や脳が思うように動かない、そんな切ない自分の現実が腹立たしく感じさせ悩ましいのかもしれません。

それぞれの人に、それぞれの状況で、それぞれの悩みがあるもの。


そして、そんな「思う通りにならないさま」を乗り越えようと思うから、努力も生まれる。
けれど、ときに挫折や落ち込むこともあるもの。
うまくいかない自分が、「こうありたい自分」との差をさらに感じさせて、ますます悩ましくもさせていくことも。

難しいものですね。生きるって。


でも、でも…。


「それで、いいんじゃないでしょうか」


と、思うのです。

だって、それが、生きるっていうプロセスなのかもしれないのだから。
それは「生きてる証拠」ともいえるものかもしれないのだから。

生きているから、「思う通りではない」ことにぶちあたり、
そこでのすべての悩みや葛藤は、心を深くしなやかに育てる栄養になっていくかもしれないのだから。

だから、大丈夫。

みーんな悩ましく生きている。だって「生きてる証拠」だから。

悩ましい時こそ、ガハハハと笑ってみるのも、ひとつの手かもしれません。(下記参照)

忘れたくないのは、悩ましいのは自分だけではないかもしれない、ということ。

めっちゃカッコよく、イケイケでキラキラ輝いているように見えるあの人も、深い悩みに苛まれているかもしれない。

一見、無敵の人に見えるような強く見えているひとだって、「そう期待して見られているからこそ、言えない悩み」があるのかもしれない。

だって。生きてるんですから。

生きている以上、こうありたい自分と、「思う通りではない自分」は避けられないものなのだから。

そう信じて、自信をもって、自分に言ってみる。

「大丈夫だよ」と言ってみる。

だって、それは「生きてるからこそ」だから。

「生きてる証拠」でもあるのだから。

生きてるかぎり続く「悩ましいプロセス」なのかもしれないのだから。

だったら、一旦、笑ってみてもいいのでは。

ガハハハハハ

オマエ、生きてるんだろ?だいじょーぶ。

息してみようぜ?

ほーら、ガハハハハハ!!!!


大丈夫です。みーんな生きてますから。


悩ましい状況はなーんにも解決しちゃいないかもしれませんが、少し前向きになれるからこそ、悩ましい状況に勇気をもって向かえるものではないでしょうか。

だから、まずは、ガハハと言ってみる。
生きる証拠と笑い飛ばしてみる。


そんな戯言でした。

今日もお付き合いくださり、有難うございます。




ガハハのへ!!!!

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