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毎日「ハレの日」だと不自然で不幸せかも

「ハレの日、ケの日」とは、あまり使わなくなった言葉でしょうか。

結婚式やお祭りなど「晴れ舞台」となる「ハレ」の日と、それ以外の日常としての「ケ」の日。

お祝いごとやお祭りなどでご馳走を食べたり着飾ったりなど、特別感のある日「ハレの日」を持ちつつも、それ以外の毎日は、ささやかな日常の「ケの日」が続くもの。

食料や着るものなど手にできるものが限られている状況では、食べたいご馳走を食べたり、オシャレな服を選べるなどは特別な日でないとできないわけで、そんな特別な「ハレの日」を迎えられるよう、日常では慎ましやかに節約して過ごし努力する「ケの日」を重ねていく。

でも、近代化がすすむにつれ、食べ物も着る物も溢れてきて、毎日食べたいものが食べられ、好きな服でオシャレするのが「日常」となってきているのでは。毎日が「ハレの日」のようになってきているのでは。

それが、「ハレの日、ケの日」の考えをとなえた柳田國男さんの指摘だったそうです。

それは近代化がもたらした有り難い変化とも言えるかもしれませんが、果たして「幸せ」をもたらしているのでしょうか。

毎日が食べたいものが食べられ、オシャレするのが当たり前になると、食べたいものが食べれなかったりオシャレできない日は、(以前であれば「ケの日」として日常だったかもしれないのに)さも「不幸な状態」かのように感じさせるものではないでしょうか。

物質的な豊かさが生まれ、ご馳走を食べ着飾るのすら日常となり、「もっと楽しさを」と余暇や余興を楽しめるようになった現代は、毎日が特別な「ハレの日」として埋め尽くさないと、幸せになれないかのような、「不自然」な状態になっているのかもしれません。

「なにかもっと晴れ晴れしさを」と、物足りなさを埋めるべく、もっと「何か」と、ご飯や服や様々なモノを「もっと」と作っては余らせ、ゴミを増やして自然を破壊しているにも関わらず。

自然界では、毎日「晴れ」だと、干ばつとなり、作物も育たず、食べるものにさえ困るものでしょう。

どれだけ、自然に左右されない食品技術の開発が進んでいても、先進国という日本国ひとつですら、主食の米が足りなくなることもあるのが現状です。

「晴れ」ばかりでは、自然も人の社会も成り立たない。
雨が降るから、雨を落として雲が薄まることで晴れが生まれるのが、自然というもの。
そして、雨が降るから、作物も育ち人も食べていけるもの。

雨があるから、晴れも楽しめるもの。
それが自然な状態と言えるのではないでしょうか。

同じように
ケの日があるから、ハレの日も楽しめるもの。
日常のささやかな努力の積み重ねがあるから、ハレの日が引き立ち、有り難く感じられれるものではないでしょうか。

食べ物、着るもの、だけにとどまらず、余暇や余興といった「余り」の体験についても、ささやかな状態があるから、特別感の状態を有り難く感じられるものでは。

それが、"自然"な状態なのではと感じております。

現代は、食べ物や服を余らせるだけではなく、情報すら余らすほど溢れかえっております。

ネットなど様々なメディアで目にする様々な情報は
「これがあれば幸せな未来を」という可能性の喚起にあふれています。
(その"マーケティング"の競争もますます激しくなっておりますが)

SNSでは、毎日だれかの「ハレの日」がピカピカしていて、自分だけが「ケの日」でいるかのような苦しさを感じさせる状態かもしれません。


でも、毎日が「ハレ」では、それは空気のように、「晴れ舞台」さは感じられなくなるもの。
なぜなら、人は慣れて飽きるから。

毎日が華やかなパーティーだとしてでも、やがて「ケの日」にしか感じられなくなるもの。
そして、そんな不自然さは、いつまでも続きにくいもの。

とはいえ、手にしていないものは手にしたくなるものですよね。
このブログは、「昔にもどって、慎ましやかなご飯と着るものでガマンして過ごすべき」と言いたいワケではないのです。

「足りてない」状態を楽しむこともできるのでは、というのが自分の考えです。

寒いなか歩く散歩だけでも、暖かい暖房器具の有り難さを感じいれるようになったり、身体を動かせる心地よさを感じたり、時にキレイな朝焼けや夕焼けに出会えたり、鳥の音を楽しめたり。

そんな、ささやかなケの日の中での楽しさというものもあるものではと考えております。

そういったささやかな楽しみは、少し便利さや快適さから離れることで見えやすくなるものかもしれません。

キャンプやハイキングなどで、現代の便利さ快適さから少し離れて自然に触れる機会を持つと、感じ入る楽しさがあるものではないでしょうか。

物質的な、情報的な「もっと特別なハレの日」を求めがちになりますが、それは不自然かもしれず、幸せになりにくいかもしれない。

だからこそ、少しそれらと離れて、自然に近い体験に身をおいてみる。
散歩だけでも、それはできるかもしれません。

そんな戯言でした。

今日もお付き合いくださり有難うございました。


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龍光ブログ
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