渡米までもう少し

久しぶり。

2020年の5月15日に始めたこのブログも三周年を迎えた。あの頃はラグビーにハマりまくって毎日毎日ラグビーのこと書いてたな〜。今だに酷い文章で全く上達しないけどここに書くことで頭の中、心の中を整理できる。

一人旅から帰ってハートフルに生まれ変わった私は何かと人を助けたり人と会ったりしていました。渡米まであと一週間。毎日友達と会ってる。会いたい人、会いたいって言ってくれる人と会えるのはとても幸せ。

長く日本を離れるけど特に準備することはないから相変わらずのんびりしています。アメリカは物価がめっちゃ高いから服も買っておこうかなと思ったけど日本で着てる服はニューヨークでは浮いてしまうのを思い出し買うのをやめた。

ここ最近はライアーのレッスンでご一緒の80歳のお友達の引越しのお手伝いをしていた。彼女はほんとにすごい人で外交官の家庭に生まれ、戦後の混乱を生き、息子さんが8ヶ月の時旦那様を亡くされて、女手ひとつで育てて、30歳で幼稚園の園長になりそれからは教育に人生を捧げてきた人です。80歳の今でも品があり元気でチャーミング。「長」という言葉がピッタリのいつでも中心に居るような人。人々が集まりイベントやワークショップや手作りの物を売ったりするお店を経営していましたが、家が取り壊されるのを機に拠点を山の方に移すことになりそのお手伝い。まあ物が多くてミニマリストに近い生活をしてる私にはかなりストレスなのです。写真や本が出てきては座り込んで「これはね、、」と話が始まるので進まない進まない。彼女の内面で起きた覚醒の経験を聞いたり、陰謀論について語ったりとにかく話が合う。彼女の年齢でここまでバランスが取れてて広く網羅してる人は居ないと思う。タイ好きなとこも同じだったw。私たちは少しずつ引っ掛かりワードを小出しにしながらお互いを知っていく。大体引っ掛かり方や反応でその人の意識状態がわかるんだけど、彼女は私が求める言葉をずぱっと返してくるから気持ちよくて仕方ない。「あーあ今日も進まなかったねえ」と言うと「深いところで理解し合えるこういう会話ができるってことが何より大切なんだよ」と言う。

彼女とはライアーのレッスンで何回か会っただけで二人で話すことは今までなかったのだけど、私がタイに行く前にぽろっと「引越し手伝いますね」と言ったことが私の中でずっと残ってて、私が行かなきゃっていう思いがあった。彼女も「お願いね」とは言ってたけど期待はしていなかっただろう。

連絡を取り合って一回行ったらこれは彼女一人では到底無理だと思い、できることはやろうと必死で梱包しまくり、先日やっと引越しまで漕ぎ着けた。昼過ぎに引越し業者さんを見送った後引越し先で次の日荷物を受け取るために一緒に来て欲しいと言われて栃木の山の中に行ってきた。そこには彼女が30年前にデザインして建てた別荘があった。めっちゃ可愛くて暖炉があって素敵な別荘でした。


疲れきっている私と散らかった部屋

彼女と共同でこれから事業を展開していく女性も一緒に行きました。何で私知らない人と旅行してんだ?と思いながらも32歳の彼女とも特急電車の中で深い話をしました。カッチカチのプライドの塊のような女性だったけど幼少期の心の傷の話をしてくれた。

時々引越しの手伝いに来てくれた近所に住んでいるシンギングボール奏者の男性とも初対面で意気投合して彼も深い話できる人が周りにいなかったらしく引越し作業しながら見えない世界の話で盛り上がったり、出てきた楽器で即興で演奏したりとちょっと変わった人だけど面白かった。

引越しを手伝ったお陰で新しい出会いがあった。

あとは歯医者に行ったり身体のメンテナンスをしたりしてる。アメリカは医療費がクレイジーだからね、、。私は歯医者がほんとに怖くてだいっ嫌い。歯医者の前を通るだけで寒気がするし、人前で口を開けるのも屈辱的でほんとに嫌。でも決死の覚悟で近所の可愛い名前の歯医者に行ったの。優しい女医さんでよかった。歯医者に行った自分をマジで褒めてあげたい。もう怖いものなんか何もないよ!

あとはうちかなり精密な大きな浄水器を使っているのだけどフィルターを変えようと思ったら部品を壊してしまい、私の大の苦手な機械系と取説に向き合わなけりゃならず、、、結局めっちゃドキドキしなが全て取り外し修理に出して戻ってきた物をまた設置するというのを一人でやった。これも相当頑張った。

苦手なことがどんどん克服されていく。

アメリカに12年住んでる間は出産以外に一回も医者にかからなかった。フルーになっても自力で治した。日本に帰ってからも無料の健康診断も行かないし、行ったのは歯医者さんだけ。身体の声を聞いて必要と思われるものを摂ったり運動もしたりははずっとしているけど身体が強いのはほんとにありがたい。

もし私の出発前にアメリカがデフォルトしちゃったらどうなるんだろう!と書いてたらデフォルト2年据え置き??もう無理なんじゃないの?

なんて思いながらも時間が飛ぶように過ぎていく。

エアチケットのトラブルがありなんと今回ツーストップでニューヨークまで行くことになった。私の失敗で損害も被ったけど自分が悪いのだから仕方ない。この作業をしてる時マジボードゲームの「人生ゲーム」やってるみたいって思った。人生ゲームの車を動かしてる視点で冷静に客観的に対処できた。ほんと人生は面白い。まあ時間はあるからゆっくりと行きたい。直行の14時間のフライトはマジできついから経由した方がいいかも。タイからの7時間のフライトで結構きつくてニューヨークは倍かよ!とウンザリしてたから。経由地点は初めて行く場所だからできれば少し雰囲気を味わえればいいな。

うちは年子なので昔私1人で乳児二人連れての行き来はほんとに生き地獄で死んだ方がマシと思ったよ。

もう家族に会いたくて会いたくて仕方がない。ほんとは今すぐにでも飛んでいきたい。

今から私が到着ロビーに出てきたとき家族が待っててくれる映像を思い浮かべるとニコニコしてしまう。

娘もコスタリカから帰ってくる。先日コスタリカに行って四ヶ月ぶりに初めて「話す?」ときたのでニ時間ほど話した。やっぱめっちゃ可愛くてニヤけてしまった。

お母さんと旅行したいと言う。私も娘と車で北米を旅行してるイメージをずっと持っていた。行きたいとこも同じだった。

私たちはシンクロ率が半端ないソウルメイト。お互いを愛し、理解し、信頼し同じように成長してる。

彼女が居るリトリートの施設には世界中から人が集まる。娘は少し変わっているので今まで友達と呼べる人がいなかった。娘はすごく大好きで何でも話せる友達ができたと嬉しそうに話してくれた。同い年のオーストリア人の男の子を紹介してくれて色々話したけどめっちゃ可愛い😍純粋で柔らかくて娘に合いそう。そこに居た周りの人達も次々に挨拶に来てくれて、素敵な人たちに囲まれて幸せそうだなと思った。

今まで私も娘も人との出会いやインタラクトを避けていた。なるべく人と触れ合わないようにしてたけど同時に同じような人に心を開く体験してた。

私変わったから、どこに居ても誰と居ても自分のままで居られるから疲れないしリラックスできるし人との心の触れ合いが幸せで仕方ない。

人って変われるんだなっていうか本当の自分に戻ったっていうか自分の意識次第で目の前の現実が変わっていく様を目撃し実感している。

家族四人で住むのは何年振りだろう?コロナの前は毎年夏に帰って1ヶ月くらい滞在はしてたけどガッツリ一緒にいるのは12年振り!

ニューヨークでは家を何軒か所有してるけど今住んでる家は高層コンド。マンハッタンを見渡せるガラス張りのめっちゃ眺めの良いアパートなんだけど私は地面から離れたところに住んでると落ち着かないし気持ち悪くなってしまうので大丈夫かなあと思ってる。

ニューヨークのエネルギーは荒い。見た目も変わってしまうほど。大きな公園もあるし少し行けば山もあるし海もあるからなるべく自然に入らないとと思う。

今アメリカ行く人ってあんまり居ないんじゃない?こんな何が起こるかわからない時に行く人いるのかな?

まあ事が始まったら大混乱になると思うけど、不思議とうちの家族は大きな波を被らないで済む気がする。不動産も銀行に入ってるリタイアメントファンドも価値が無くなってしまうかもしれない。目に見える物も大切だけど本当に大切な物を私たち家族は全員わかってる。そして何より全員が自分たちは守られていて幸運だという意識がとても強いから何が起きても動じないだろう。この時間を家族がまとまって過ごせるのはよかったのだと思う。

アメリカから始まるのは明らか。911もたまたま一週間日本に帰国している間に311も経験してる私。

この激変の時代をこの目で見て感じたいんだな。

再び動き出そうとしてる私の人生。28歳の時にアメリカに渡って私の人生が180度変わった。今年52歳の今再びアメリカに行く。

私は日本に帰ってからかなり自分に自信をなくしてしまった。始めは日本にアジャストしようと頑張ったけどだめだった。働いてもママ友とも馴染めなかった。どんどんエネルギーを失い、何とも言えない絶望感があり引きこもり、太って見た目も酷くなっていった。全体を覆っている足を引っ張られるようなヘドロの沼みたいな意地悪なエネルギーにうんざりした。でもその間に散々自分と向き合い、自分を知ることもできたからそのための時間だったのかなと今は思える。

数少ない意識を共有できる友達が居てくれたから助けられた。

私は日本が大好きだし頑張れ!って思ってる。

色んな国の人を見てきたけどこんな素晴らしい土地、賢く、優しい人がいる国なんて他にないんだよ。やっぱ日本は特別だよ。

私は外から大きな視点でこの激動の時代を眺める。

また英語の日々が始まる。でも昔と違って子供達ももう大人で自分のこと自分でできるし逆に頼れるようになった。子供達とは日本語だからびーちゃんがいる時だけは家族内では英語。私の変な発音をたまに子供達に揶揄われるけど日本人なんだからしょーがないじゃん。

今まで自分で選んだのだけれども誰にも頼らず寄りかからず全部自分で決めて生きてきた。びーちゃんと居れば安心。夫婦としての相性は最悪で今まではぶつかりまくって喧嘩ばっかだったけど、私も変わったしうまくやってけそうな気がするよ。びーちゃんはびーちゃんだからもう変わって欲しいとか思わない。

今まで殴り合いの喧嘩してナイフで刺すような酷いことを言っても一人ぼっちにさせてもびーちゃんは私のことを嫌いにならなかった。こんなに愛情深い人はいないと思う。うちの両親もびーちゃんが大好きなの。

まあこれからも色々あると思うけどもどうにかなるでしょう。

無事自分がニューヨークまで辿り着けることを祈る。

☀️🌕

















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