義務教育が景色の解像度を上げるんだなって思った
高知県に旅行に行ってきた。
四国の風景は、わたしの暮らしている関西とは少し違っていて漠然と「何かが違う…」と観察して考察して調べることがいくつかあった。
花の開花時期をその花がいつの季語だったかを思い出して予測したり、変わった山の形を火山活動が盛んだったのか予測してみたり、なら石材屋さんも多いのかと考えたり、高知県のアスファルトに白っぽい部分があったりするのは石灰岩が多く取れたりするんじゃなかろうかと思ってみたり
その都度ネットで調べると予想と遠からずな回答がでてきて「義務教育って役に立つんだな」って改めて感心?した。
学生時代は勉強が嫌いでまったくテストの点数にも関心がなくて、ただただ時間を浪費して必要な努力をすることなく自分の手の届く範囲で流されるままに過ごしてきた。
今になって「勉強のやり方が分からない」「努力ができない」と学生時代に順当に勉強をしてこなかったツケを感じている。
今回のような、旅行先だとか日常の風景に感じた疑問と義務教育で習った知識とが合わさったとき「あの頃もっと勉強していれば」と思う。
今からでも遅くはないと言われるんだろうけど、自分の興味のある分野だけでなく強制的に色々な知識を詰め込まれるあの空間はやっぱり大人になってから再現することは難しいと感じる
でも勉強しない子どもに「いま学んでいることが自分の見ている景色の解像度をあげるから」と言っても勉強に励むことはないだろうし、過去の自分に言っても「何を言っているんだ」と冷ややかな目で見てしまう気がする。
結局、過去を後悔してから自分の中の最適解を見つけるんだろうな。
学生時代に助言をしてくれた大人たちもきっといろんな後悔を抱えて生きていて、いつの間にかわたしもその側になったってことなんだ