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世間の動きと反して調子が悪い

学生さんの卒業式・入学式、新社会人の入社式が世間では行われているようで、外の出ると春の浮足立った情感と少しのピリツキがあるように思う。
今日、久しぶりに外に出て「もうこんなにも桜が満開なのか」と驚いた。

1時間ほどの予定を終わらせて、スマホを見ると旧友から出産したとメッセージが入っていた。
母子ともに健康に出産できたようでうれしい気持ちと、やっぱり自分の子供を産みたい人の心理が全く想像できないなと思った。
冷たい人間だと思う。
心の底から、友人の新しい生活を祝うことができていないのだから。
悪いとは思いつつまだ、そのメッセージに返信は送れていない。

わたしの周りだけで言えば、幼少期に家庭環境に問題がなかった人たちは早々にパートナーを作り、結婚・出産と進んでいっているが、そうでなかった人は今のところその逆を進んでいる人が多い
例にもれずにわたしもパートナーもいなければ出産なんて全くしたいと思わない人間なわけだけれど、やっぱり二十代も後半になると、結婚・妊娠のおめでたい話は必然と増えてくる。
そのたびに、なんだかひねくれた自分と比べてしまって勝手に敗北感?を感じてしまう。

そもそも、わたしは今までの人生で一度も自分の子供を産みたいという気持ちになったことがない。
人に言うと「自分の子供はかわいく思える」とか色々な先輩の助言は聞けるけど、そうではなくてわたしにはわたしのこどもに生きることを楽しむすべを教えてあげることはできないだろうと思うから、子供が欲しくない。生まれてしまえば、どんなことでその子の心に傷をつけてしまうかわからない。嫌なことがあっても安心できる場所を提供できる自信がない。

それは探っていくときっと自分の幼少期の不満になるんだろうなと思う。
家庭環境も複雑ではあったし、家族から心無い言葉をかけられたことも一度や二度ではない。
これまでの経験を反面教師に育児をするには、まだ過去の自分が癒されていないような気がする。
生まれて27年が過ぎた今もたった6歳ごろからの心の傷が癒えずにここまで来てしまった。

職場関係で心療内科を受診しているけれど、きっと癒してあげないといけないのは過去の自分なんだろうなと思う。
「あの時こう言われたこと」「あの時こういう扱いを受けたこと」そういった積み重ねが27歳になっても解消されずに、私の心の中の暗がりで体育すわりをしてすすり泣いているように思えてならない。
いつかこの子が笑えると、自分の結婚観なんかも変わったりするのだろうか。

友達のおめでたい報告を見てからの自分のモヤモヤの掃き掃除


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