嵐「いつまでも」を 単なる悲しい歌で終わらせたくない
※嵐「いつまでも」を是非一度お聴きの程 読んでいただきますことをおすすめいたします。
「Love so sweet」がリリースされた2007年、このタイトルとカップリングを初めて聴いた際の衝撃から14年。
この「いつまでも」では、過去いくつもの歌詞考察がなされていますが、そのすべてに共通するのが「お別れソング」としての顔。
しかし、私は“単なる”「お別れソング」ではないと思っています。
ずっと書きたい・共有したいと抱えた想いと、私から見えた風景をテキストにします。
ずっと書こうと思いながら、何度も筆をおき(正確に言えばパソコンを閉じ)
そしてこちらは 2012年くらいにあげたものを再び書き直したものになります。
あの時、おとめだった私も、だいぶおばさんになってきました。
以下、
・歌詞考察につき、嵐のメンバーの敬称を省略して書いていきますが、私は5人とも大好きです。
・いずれの文も 否定、批判はまったくありません。そしてすべて私の解釈ですのでご了承ください。
・音楽にはあまり詳しくありません、音楽素人ですが、嵐の音楽は2002年からよく聴いています。
嵐のファンの方はもちろん、「Love so sweet」を耳にしたことがある方も、ぜひ「いつまでも」を聴いて本文を読んでみてくださいね。
「いつまでも」収録
♦CD「Love so sweet」初回限定版・通常版
♦DVD「凱旋記念最終公演 ARASHI AROUND ASIA+in Dome」
♦CD「ウラ嵐マニア 」disc2
みなさんは「いつまでも」を透かして、
どんな "景色" を観てますか?
**********
2007年にリリースされたシングル曲「Love so sweet」のB楽曲であり、いわゆるカップリングと呼ばれるこの楽曲ですが、
作曲作詞編曲は以下の方々。
作詞 : SPIN Rap詞 : 櫻井翔
作曲 : 多田慎也
編曲 : ha-j
SPINさんも、多田慎也さんもよく嵐に楽曲を提供されている方ですが、編曲のha-jさんも含め、まさに「最強の布陣」と思える楽曲。
耳なじみがよい多田さんの音楽に乗った、SPINさんらしい手紙のような歌詞。
胸にきゅっと切なく、嵐の優しい歌声で届けられるこの「いつまでも」。
アイドルグループ嵐が、その人気を確かなものにした「花より男子」の主題歌の裏面の曲で、
一体どんな物語がつづられているのかを 本稿で考察、否、邪推をしていきます。
冒頭。
独特な高音から入り、さらに管楽器の高音が後ろに広がり重なっていく。
再生してすぐ明るい色調が耳を通して、脳と視界に広がるのが印象的なトラック。
そして、二宮 櫻井 大野の珍しく低い歌声からはじまる歌詞がこちらのフレーズ。
「大好きな気持ち ホントのこと 伝えきれずもうさよなら」
この楽曲を再生して、まず最初に対面するフレーズに「さようなら」という別れの言葉。
明るい音楽から始まった この「いつまでも」が、
誰かと誰かのわかれの曲であることを 初っ端からリスナーに刻み付けるのがSPINさんらしく、優しさの中にどこか甘やかな"酷さ"があるように思えます。
そして、伝えきれなかった「ホントのこと」とは一体?
「元気で暮らしてと いつもの場所 ふたり無理に笑いながら」
いつもの場所で笑いあう、いつもの2人。無理に笑いあうのは「最後」がわかっているからであり、
「最後」を笑って過ごすため。
「未知の上はしゃぐ 踊る未来の粒
真っ白な想い出を 胸にしまった日の約束」
まだ何も知らなかったあの頃、はしゃぎ“踊っていた”かのような思い出の粒たち。
思い出たちはすべて、いま、つまり「未来」に一つ一つ繋がっている。
過ごしてきた時間の中 曇りない真っ白な思い出の日々「君」と約束をした、という主人公。
この「約束」とは将来のことなのか、はたまた。
ここで入るサビパート。
「君と生きた毎日 ただ君だけを愛した日
たぶん僕のすべてが君のそばにあった」
僕のすべて、それはお金、そしてそれに変えられないもの、時間、感情。
そのすべてが「君」のそばにあったと語る主人公。
君と過ごした、ではなく「生きた」と歌うのがこの歌の切なくも温かいポイント。
ここまでは 冒頭の切ない さようならのフレーズから、リスナーを何も裏切らず「お別れの歌」として進行します。
そこで入る5人の歌声がユニゾンで響き、続くサビ歌詞。
「当たり前の毎日 二度と逢えぬこの日を
当たり前だと思っていた毎日=もう今はなくなってしまった日常。
「二度と逢えぬ」というフレーズ、この曲が単なる「お別れソング」ではない側面が、顔を出したなというのが素直な感想です。
冒頭の歌詞、「大好きな気持ち ホントのこと 伝えきれずもうさよなら」をしたのは、けんか別れか?それとも上京か?
そうではなく、「伝えきれず 」=時間的猶予がない まま、遠くへ行ってしまった。
そうでなければ「二度と逢えぬ」ことはないはず。
だからこその「君と生きた毎日」であり、今はもう「二度と逢えぬ日々」になってしまった。
「どんなときも忘れないように こうやって時を止めたい」
そして、「君」と過ごした日々を、忘れないようにと時を止めたいと願う主人公。
「時をとめたい」とはつまり、その時間にとどまり続けるという事。
時計の針をとめて、君との思い出を忘れないようにするというフレーズと、切なくもあたたかい歌声で終わる 1番パート。
そして2番は、大野ソロパートの、悲しい叫びにも似た歌詞から始まります。
「こんなに辛くて忘れたいよ あなたの声 優しい手
諦めたくて逃げたいほど情けなくて いつも一人」
時を止めてまで、忘れたくないと願った主人公の苦しみ、忘れたいと思う「君」の声も優しい手も。
思い出せば思い出すほどに、「君」がいない、一人であることに気づく主人公。
諦めたい 逃げたいと思い悩む自分が情けないと、止まった時の中でも さらに立ち止まる主人公。
そして次のパート、櫻井・松本の 暖かくも確かに“強い”歌声でにより、歌詞が転調。
「音が急に鳴る 君のための歌がカバンの中あふれてる ふたり好きだったメロディー」
ふと音楽が、カバンの中から聞こえてくる。
携帯から、いつも君と聞いていた曲なのでしょうか。
この「ふたり好きだったメロディー」は、幾度も口ずさんだのでしょうか。
ここで転調したまま、2番のサビに突入します。
「君が泣いた訳を ただ探して恋した日」
なぜ君が泣いていたのか、あの頃は分からなかった。
その泣いた理由を知ろうと、「君」を知っていき、そして恋をしていく日々。
「たぶん君のすべては僕のためにあった」
僕がそうであったように、君も、「君のすべては僕のためにあった」と語る主人公。
そう言い切れるのは、過ごした時間を思っての確かな自信か、生きている者が抱く"救い"か。
「もう帰れない場所が こんな風に過ぎ去ってく」
もうどんなに願っても戻れない日々、時間、場所。そして時は残酷に過ぎ去っていく。
忘れたくなくても、どうしても流れゆく時の中で、主人公の中で、
「君」が消えていってしまう。過ぎ去ってしまう。
「どんなときも忘れないように こうやって時を止めたい」
だからこそ、今だけは時を止めたい。
再び主人公は、思い出に浸り、時計の針を止めます。
ここでからrap前、4人の畳みかけるようにパートが重なっていきます。
「離れてくなんて 思わなかった
ふたりのすべて いつまでも…」
二宮、相葉、松本、大野の順番に語り掛けていくかのような1フレーズ づつの歌詞ソロパート。
まさか、離れることになるなんてと回想、そこには後悔のような気持ちもあるのかもしれません。
単にお別れをした、振られた「僕」が「君」との思い出を思い出しながら、「ふたりのすべて いつまでも…」と歌っているわけではない、思うと 幾重にも味も色もかえていくこの楽曲。
「いつまでも…」と大野のフェイクにより、さらに物語が深度を増して進んでいくかのように歌も進行。
櫻井自身が詞をつけたリリックへと誘われます。
「ごめん僕もう先を急ぐ(Oh)」
ごめん、僕は先を行くよ。
音楽も再び転調し、櫻井の瞬くような歌い方が押韻を強調。
時を止めたいと願った主人公「僕」が、櫻井の詞によってふたたび動き出します。
「二人共持つ街の記憶(Oh)
溢れ出る様波の如く(そう)
山を彩る秋の如く」
「君」と過ごした街の記憶、思い出。それはまるで波のようにおしてかえす。
そしてそれはまるで山を染め行く秋という季節のように。
あの店で初デートをしたとか、休日はあの公園に行ったとか、待ち合わせをした広場だとか、
きっとそういう思い出たちが、街には溢れていて、意図せずにどんどんと満ちていく。
櫻井のrapがそうであるように、次々と、走馬灯の如く思い出たちが主人公の脳裏に浮かんでは過ぎていくのではないかと私は思えるパート。
ここで、1フレーズ目の「先を急ぐ」と
2フレーズ目「街の記憶」、
3フレーズ目「波の如く」、
4フレーズ目「秋の如く」、
すべて「aioiou」の音で、文末で押韻する「脚韻」というhip hopの常套。
この脚韻によりリズムが生まれ、まさに動き出した主人公と重なり、そしてその主人公を急き立てるかのよう。
そしてなにより、寂しい季節と揶揄されることが多い秋という季節を、「彩る」季節のたとえとして引き出す櫻井。
彼の詞の中たびたび登場する、色使いのうまさがこの いつまでも という曲に、まさに「彩り」を加えるかのよう。
そして、最後に続くリリック。
「(街の記憶)
現在(いま)も光って 未だ光ってしまって…」
動き出そうと決めた主人公。それでもやっぱり街の中で思い出、今も記憶が蘇る。
光ってしまう。思い出されてしまう。
でも、それは「思い出として」心に輝き続けるんだ、とも受け取れるフレーズ。
彼の優しい歌い方にも影響しているんでしょうか、消して後ろ向きだけではないフレーズに思えます。
押韻としては「光って」(iaeの音)をリフレイン。
まさに 光る思い出を主人公が繰り返し 思い出すかのような、粋で優しいリフレイン。
櫻井rapパートが過ぎ、大野のフェイクが重なりながら落ちサビが畳みかけます。
「君と生きた毎日 ただ君だけを愛した日
たぶん僕のすべてが君のそばにあった
当たり前の毎日 二度と逢えぬこの日を
どんなときも忘れないように こうやって時を止めたい」
1番パートのサビと全く同じ歌詞ですが、どこか悲しいだけではないように聴こえます。
「君と生きた毎日 ただ君だけを愛した日
当たり前の毎日 二度と逢えぬこの日を」
曲のおわりでサビの頭部分を繰り返します。
そして再び繰り返される櫻井パートのトラック。
「それは現在(いま)なお僕襲う(Oh)
あの歌また記憶解く(Oh)
溢れ出る様波の如く(そう)
山を彩る秋の如く
(街の記憶)
身勝手になって 胸に仕舞ってみたって
現在(いま)も光って 未だ光ってしまって…」
「身勝手になって 胸に仕舞ってみたって」という、この1文が新しく追加。
胸に仕舞いこんでも、やっぱり君との思い出が未だ光ってしまうよ、歌詞を終えるこの歌。
忘れないように時をとめたいと願った主人公が、輝く思い出たちと歩き出す。
そんな物語のように思えます。
「君」との思い出、過ごした日々、街の記憶、それらすべてのこと と、
そして「君」自身は、主人公の胸の中で「いつまでも」あり続ける。
そんな歌なのだと、私は初めて聴いた時から思っています。
そして単なる「お別れ」ではなく、
そしてただ悲しい歌ではないと、私は思っています。
ある意味では、"振られた僕"の歌である解釈以上に 悲しいですが、
悲しいだけで終わらないのが彼ら、嵐そして作詞作曲編曲の先生方のマジックなのだと思います。
あくまでも私の解釈ですので、そこはひとつ。
そして、最後まで読んでくださりありがとうございました。
みなさんは「いつまでも」を透かして、
どんな "景色" を観てますか?
2021.1.31
Eluka.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?