・何で今日なんでしょう 今日は何という日なんでしょう 私はびしょぬれの満月の日ということしか知りません

・伯山先生が人の心を読めるということは先日ご本人がごく自然におっしゃっていたと思いますが、これを読んでいる皆様、あれは本当のことですよもちろん 私は今までずっと読まれ続けていましたのでよく知っています

・でもどうして今日、よりによって今日 (私の、絶望、という言葉は似合わない、終りと、諦め、空っぽでも真っ白でも真っ黒でもない、きっと痛み泥棒にからだの痛みを盗まれてしまった今日そしてもっと言えばあの時間) まさかの心の中という一番近い場所に於いて、とんでもない信頼をもって寄り添ってくれるのなんて、強いて言うなら神様くらいだと思っていました 私という人間にとって、今、本当に、いつよりも圧倒的に「今」、松之丞改め六代目神田伯山による、寛永宮本武蔵伝連続読みを、全部、聴くことができるようになる、なんていう出来事は、それはもうこれを読んでいる皆様にどれだけ伝えようとしても、おそらくほとんどを伝えられないであろうくらいに、まったく「意味」、しかないことでした 私が入ってしまった、無味無臭、無色、無痛、なゼロ温度の世界に対して、かろうじて機能していた耳を瞬時に塞がせ、ただただ生き(行き)続けていくにあたっての光の筋を示して、ほんの少しのあたたかな匂いとその手の温度、そして痛み、によって、私をまた私として居させてくれるものでしかなかったんです すべては説明しませんし、できません、する必要はたぶんありません 私がわかっていればよいです とは言いつつも、この気持ちの小さな小さな小さなひとかけらなどが、届く人に、今じゃなくてもいいので届けば、よいです そのために今、一人きりの私が文を書いています

・言いたいことがだいたい書けました 私は、伯山先生、松之丞さんが好きです こんな簡潔に真意(っぽいもの)を書くとなんだか説得力がなさそうだし書かない方がいい気もしますが、ついに感嘆符をひとつも使わなかったさっきの文章にこれを書くところはないので、ここへ記します これで終わります

令和四年三月十八日 龍千代


いいなと思ったら応援しよう!