「描くようになったきっかけ」後日談。
昨年の12月頃、マウスコンピューター×note「描くようになったきっかけ」コンテストに応募すべく、以下のような記事を投稿しました。
https://note.mu/0mememe1/n/nc999df4f6bb5
結果は落選でしたが、自身の創作の原点を振り返り、自分にとって「描く」とはどういうことか、想いを馳せる良い機会となりました。
投稿作で描いたエピソードは、私にとって忘れられない大切な思い出で、現在も私が絵を描いていることに関わっていることは確かです。
しかし実を言うと、投稿を終えてしばらく経ってから、とある強烈な出来事があり、私の「描くようになったきっかけ」はもっと根深い場所にあったのだと気付かされました。とは言え、応募規約にあった「1分程度で読める記事」を守れそうにないほど長い長ーい話になりそうだったので、アウトプットすることもなく、今日まで胸の中にしまっておきました。
今回は、その出来事について書きたいと思います。
私には、小学校入学前から親しくしていた所謂「幼馴染み」がいました。過去形なのは、思春期を迎える頃にはお互い別のコミュニティに所属するようになり疎遠になった、というよくある話です。
幼馴染みは、とても美しい人でした。
名前を仮に、Aちゃんとします。
Aちゃんは、明朗快活。才色兼備。文武両道。背が高く大人びて見えて、異性にも同性にも好かれる人気者でした。漫画やゲームで言うところの、チートキャラですね。笑
対照的に私は、体も声も小さくて、勉強も運動も人並み以上に必死で頑張らないとついていけない子供でした。面倒見の良いAちゃんは、自分と真逆のタイプの私を引っ張って輪の中に加えてくれる。そんな眩しい存在でした。
私は彼女のことがとても好きで、とても嫌いでした。
Aちゃんは、絵を描くことも上手かったのです。
他には何も取り柄のない私にとって、絵を描くことだけは、他人に誇れる唯一の特技でした。でも、同級生の友人たちは言いました。
「学年で一番絵が上手なのはAちゃん。その次が、めめちゃん。」
面と向かって言われてショックでしたが、事実だったので腹は立ちませんでした。
校内新聞や教材で使う挿絵を、絵の得意な生徒が担当することがあったとしても、依頼されるのはいつもAちゃんで、私が任される時は、彼女とクラスが分かれた時のみ。
“ 唯一の特技でも、私は一番になれないんだ。 ”
子供心になんとなく自分の「社会での立ち位置」みたいなものを認識していきました。
しかし、やはり純粋に絵を描くことは好きだったので、人前に出すことはなくても、暇さえあればラクガキをしていました。そんな状態からの、「描くようになったきっかけ」で漫画化した読書感想文のエピソードに繋がるのです。
さて、ものすごく長い前振りになりましたが、やっとこさ本題です。笑
Aちゃんは、もともとピアノが上手かったのもあり、中学校に入学してから吹奏楽部に所属して、音楽の道へ進んでいきました。彼女とはその頃から疎遠になり、中学卒業後は顔を合わせることは殆どなくなりました。
しかし、昨年のクリスマスに再会を果たしました。
地元の音楽団体が開催するクリスマスコンサートに、彼女が出演することになったらしく、一緒に聴きに行かないかと母に誘われたのです。
正直、行きたくはありませんでした。笑
その頃の私は、漫画の掲載作品を決める編集部内のコンペに落ちて、次作に取り組む為に気持ちを切り替えなきゃいけないと焦っていました。そんな時に、かつて心の奥底へしまっておいたルサンチマンをわざわざ引っ張り出すようなことをしたくなかったのです。
しかしチケットも購入してあるのに空席を作るのは、長年に渡って染み付いたオタク作法において許されない行為だと思い、嫌々ながらも参加することにしました。
コンサートは、老若男女が楽しめるような工夫が凝らされており、場内は始終和やかな雰囲気でした。そして、コンサートの序盤にAちゃんが登場しました。
数年振りのAちゃんは、相変わらず美しかったです。
もともと整った顔立ちだったのが、大人になって更に磨きがかかって、綺麗なドレス姿でスポットライトを浴びるAちゃんは、ステージに居る誰よりも輝いていました。
堂々と演奏する姿も迫力のある音色も曲の合間のトークも、かっこよくて美しい、私の憧れそのものでした。
私はずっと彼女から目が離せませんでしたが、彼女は一度もこちらを見ませんでした。
昔からそうでした。
彼女と私は、見ている世界が違ったのです。
それでもなんとか彼女と同じ景色が見たかった私は、絵を描きました。
幼い頃、彼女と並んで絵を描いていると、他の友達が寄って来て、みんなが私とAちゃんの絵に羨望の眼差しを送ってきました。あの瞬間だけは、Aちゃんと同じものが見えているような心地がしていました。
私はずっと、Aちゃんになりたかった。
Aちゃんのように、周りに求められる、選ばれる人間になりたかった。勉強や運動では無理でも、せめて絵を描くことだけは。
絵を描くことでなら、Aちゃんみたいになれるかもしれない。
その小さな希望に縋って、絵筆を執ったのです。
彼女がいたから、私は絵で一番にはなれませんでした。でも、だからこそ私は描き続けられました。手の届かない高い目標が、いつでも目の前にあったから。欲しくて欲しくて堪らないものに、ずっと手を伸ばし続けられたのです。
彼女がいなかったら、こんなにも力強く、絵を描くことに貪欲にならなかったかもしれません。描くことへの果てしない執着心の原点は、Aちゃんへの憧れの感情だったのです。
幼い頃、胸の中に無理矢理押し込めていた感情と、ようやく向き合うことができた気がしました。長年に渡る彼女への複雑な気持ちがいっぺんに溢れ出して、気付いたら泣いていました。
Aちゃんは、もうとっくに絵の世界からは離れてしまったけれど、きっと私の方がAちゃんよりずっと、絵を描くことが好きだ。
なんでも器用にこなせてしまったAちゃんにとっての「描く」ことより、何も無いけど唯一持つことができた私にとっての「描く」ことの方が、ずっとずっと特別な意味がある。
そのことに気付いた瞬間、こんなにも美しい幼馴染みがいてくれたことに、私は生まれて初めて心の底から感謝できました。
Aちゃんにとっての音楽が、私にとっての絵のような存在なのだとしたら、彼女もまた、自分なりの「特別」を見付けられたのかな。そうだったら嬉しいな。いつか私も、彼女に自分の漫画を見せられたら。その時は「Aちゃんのおかげだよ。ありがとう。」って言えたらいいな。
そんなことを思いながら、彼女の演奏する美しいクリスマスソングを聴いていました。
長々と失礼しました。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、創作の糧にさせていただきます。