「悩まない」プロ
「◯◯さんって、悩みなさそうでいいよね。」
この言葉に漫画のような吹き出しを付けるとしたら、よくある楕円形をベースに、所々鋭利なトゲトゲが生えている厄介な形をしている気がする。
尤もらしく「いいよね」なんて褒めているようで、隠しきれない悪意がこれでもかと溢れ出ている。そんな気がしてならない。
このストレート過ぎる皮肉を耳にする度、私は思わずウッ…と身構えてしまう。
とは言え、私自身はこの言葉を直接言われたことは一度もない。
自分以外の誰かが言われているのを傍観している若しくは、該当者が不在時に話題になり同意を求められる場合が殆どだ。
先日、職場にて、久々に遭遇する場面があった。
スタッフの◯◯さんが、悩みがなさそうで、幸せそうでいいね、と言われていた。
◯◯さんは、穏やかでのんびりとした雰囲気の、朗らかな笑顔の人だ。
言われた時も、腹を立てた様子はなく、
「そうそう。あんまり悩まないんだよね。やなことあっても、美味しいごはん食べてあったかいお風呂入ってぐっすり眠って、次の日起きて朝日を浴びたらもう平気になっちゃう。」
とニコニコしていた。
私は、以前よりもっと◯◯さんが好きになってしまった。
自慢ではないが、私は何かにつけて悩んでしまう。(本当に自慢にならない)
些細なことが気になると、思考が一時停止。そのまま深刻に考え込んでしまい、長々と引きずり、忘れることができない。
悩みなんてヤツは、考えれば考えるほど、いくらでも出てきてしまう。掘り下げても掘り下げてもキリがない。
それなのに私ときたら、放っておいたらいつまででも悩めてしまう。決して悩むのが趣味ではないのに、どうしても私の脳はクヨクヨと悩むのが好きらしい。
しかし数年程前、自律神経を崩してヒーヒー言っていた時期から始めてみたのは「とりあえず1分間だけ悩んでみて、それでも答えが出ない事柄は考えない。」という方法だ。
それでもヤツはふとした瞬間に私の脳内に再訪しては、短い人生の貴重な1分間を奪っていく。
私も含め、悩みというヤツをついつい歓迎してしまう人は多いと思う。
本当は悩みたくなんてないのに。
クヨクヨ悩むことなく、楽しいことを考えていたいのに。
それでも気が付くと、ついアレコレ悩んでしまう。
だから、悩みがなさそうな、幸せそうな、◯◯さんのような人が羨ましいのだ。
それでつい、楕円の吹き出しにトゲが生えてしまうんじゃないかと思う。
けれど、◯◯さんは「悩みがない人」ではないと思うのだ。
◯◯さんは、「悩まない人」。
「悩みがあっても、ダラダラと頓着したりせず、悩まないよう努力している人」だと、私は思う。
そして、悩まないのが上手いからといって、何を言われても傷付かない訳ではないと思う。
「悩みなさそうでいいね」なんて皮肉を言われても、全然へっちゃらなんてことはない。腹が立ったり、苛ついたり、何かしらモヤモヤするものを感じているかもしれない。
それでも、そのモヤモヤに囚われずに、上手に解放して、ニコニコしているのではないか、と私は勝手に想像するのだ。
「悩まない」ことの難しさを痛感している私にとっては、◯◯さんは「悩まない」プロだ。達人だ。師匠と呼びたいくらい尊敬している。
そんな師匠達が「悩みなさそうでいいね」と言われているのを見る度に、そうじゃないのになぁ…と何とも悲しい気持ちになってしまう。
いや私全然部外者なんデスケドネ。師匠達なんとも思ってないかもしれないんデスケドネ。笑
◯◯さんのように「悩みなさそうでいいよね」などと不名誉な扱いをされてしまっている「悩まない」プロの皆さま。
あなたのプロフェッショナルな達人技、いつもお見事です。
自分のモヤモヤを外側に持ち込まないで、ニコニコ穏やかに雰囲気を和らげてくれて、とても助かっています。
いつも本当にありがとうございます。
私もいつかあなたのような「悩まない」プロになれるように、今はまず1分間、丁寧に悩んでいきたいと思います。
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