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自己紹介|バスガイドから年間5000万円売り上げる営業マンになるまで
はじめまして。
私は北海道の右端にある釧路市の出身です。
釧路というところは北海道の中でも、雪は少ないですが年中寒いところです。
グルメは海鮮はもちろん、東家という緑色のお蕎麦とスパカツという熱い鉄板の上に乗ったミートスパゲティの上にカツが乗ったご当地グルメが人気です。
いろんな意味でちょっとジメッとしたところで育ち、
高校卒業後バスガイドになるために上京しました。
憧れの黄色制服を着て東京観光のイロハを学びました。
バスガイドは2年で辞め、その頃響が心地よかった「フリーター」になりました。
初めてのフリーターはカフェの店員です。(女子っぽい)
プロントというカフェで働きました。
そこは東京にある歌舞伎座の隣、晴海橋のたもとにあるめちゃくちゃ混むカフェでした。
当時20歳。
私はフリーターの壁にぶち当たり、引きこもりになりました。
シフト希望を出すのを忘れ1週間くらい仕事がなくなりました。
そこで私は「世の中に必要とされていないんだ」と思ったのです。
そこからバイトを辞め、ただひらすらに家とパチンコ屋さんの往復をしてました笑
だいぶやさぐれていました。
いよいよ、貯金も尽きようとしていた頃やっぱり旅行の仕事が楽しかったと思い直し、その後は添乗員資格も取得して添乗員となりました。
バスで行ける範囲の観光地を網羅!
北は青森・西は金沢まで様々な観光地を巡り
知らないことを知ることの素晴らしさに感銘を受けました。
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人生の転機
添乗員仕事もだんだんと慣れていたころ
たまたま飲みの席で出会った人がいました。
「私、バスガイドだったんです。」とお決まりの自己紹介をすると
「うちのバス会社で働かない?」と誘われました。
そこからが旅行業に
どっぷりとハマる人生のターニングポイントでした。
その1週間後、そこのバス会社に面接に行きました。
バスガイドから年間5000万円売り上げるの営業マンに
新しいバス会社の面接も無事に終わり、久しぶりのバスガイドとしての乗務も慣れてきた頃でした。
社長に呼び出され、
「旅行会社をやるから添乗経験もあるし営業として働かないか?」と声をかけられ
旅行会社の立ち上げメンバーになりました。
バスガイドや現場仕事しか経験のなかった私には、営業は大変でした。
ビジネスのメールさえ送ったことないし、見積りも作ったことない。
算数ができなくて、消費税の計算すらできなかったです。笑
(当時は5%から8%に変わったころ)
営業をして学んだこと
営業を経験して人としてすごく成長しました。
ちょうど、この会社に入ったのが24歳の頃。
女子としても割と一番楽しい時でした。
お洒落も恋だってしたい私に、
仕事に専念してほしかった上司からの言葉が今でも忘れられません
・八百屋じゃないんだからなんでもおまけするな
お客さんにも喜んでもらえるならと、割引やおまけも普通にしていました。
だって、その方が営業がうまく行くと思っていました。
すぐ消費税カットや端数を切って販売することが得意になっていました。
今でもそのクセは抜けていませんが、常にギバーな私でいたいと思っています。
・まずは、自分の給料を稼ぐことに専念しろ
おまけばっかりしていた私は、毎月の売上目標を達成することができず苦労していました。
しかし、この言葉を聞いてから私の中で何かが変わりました。
月々の目標をクリアできるようになり最終的には年間5000万円の目標を達成することができました。
今でも、この言葉は私のバイブルです。
この頃は、飛び込み営業もしたし
夜の飲み会に力を入れ、毎回飲み会の後にはみんなが楽しめたかどうかで泣いていました。(謎)
会社でテッペンを超えるまで仕事をしました。
なんなら会社好きすぎて、泊まりかけで働いたり。
いい社畜として過ごした私の第3くらいの青春だったと思います。
人生の中で、あの会社で過ごしたことは今の自分の糧になっています。
そして絶対に普通に生活してたらできないような体験をすることができました。
感謝です。
今ではあの環境があればもっと上手にお仕事ができるなぁと思います。
あの時のパイセン方、毎日二日酔いで行ってすみません。
皆様方がいたおかげで、今の会社や私がおります。
結婚・出産・退職・専業主婦に
仕事も順調に進んでいた頃、当時交際していた人と授かり婚をすることになりました。
今、たった2行で書きましたが
私にとってはものすごく大変で生きてきた中で一番辛い日々を過ごす結果になったのです。