年収は7.5万ドル以上になると幸福度との相関が薄れる
ケイシー・ネイスタットというアメリカ人のYouTuberがいる。2022年11月現在でチャンネルの登録者数は1250万人を超え、いわゆるブイログと呼ばれるカメラに語りかけるビデオ形式のブログを世に広めたパイオニアの一人である。あるビデオの中で、彼はカメラの価格と性能の相関関係について語っている。一定の値段まではお金を掛ければ掛けるほどより良いカメラを手に入れられるが、ある一点を超えると費用に見合うような性能や質の飛躍的向上は見られなくなるという内容だ。一般人が使う範囲において(登録者数一千万人越えのYouTuberが一般人と呼べるのかはさておき)、カメラの価格と性能が均衡するその「ポイント」はたしか十万円くらいだというのが彼の意見だった。
ちょっとうろ覚えなのだけど、ギターと大体同じくらいの価格帯だと思った記憶がある。ギブソンやフェンダーUSAのギターは下限で十二、三万円くらいから販売されている。もちろん世の中には数十万のギターだったり百万円を超えるようなギターも存在したりするが、そこまでいくと年代や生産数に関連した希少価値や付加価値が高いだけで、機能や音色そのものに大差はない場合がほとんどである。少なくとも僕の感覚では違いなんてわからない。さすがに一万円くらいのおもちゃみたいなギターとギブソンを比べれば話は違ってくるが、現行のフェンダーUSAのストラトとエリック・クラプトンのブラッキーを比べても「なるほど」と言って誤魔化すしかないだろう。
全く別のところで、幸福度と年収の相関関係について書かれた記事を読んだことがある。2015年にノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のアンガス・ディートン教授の調査によれば、年収は7.5万ドル以上になると幸福度との相関が薄れるらしい。2022年11月現在の正常とは言えないドル円のレートにあえて換算すると、約一千万円までは年収に幸福度が比例するが、それ以上お金を稼ぐような状況ではストレスや身体的負担といったネガティブな要素に生活の質が相殺される傾向があるのだ。
そしてまた全く別のところで、子供の容姿が平均に近いほど親の苦労は減るという話を耳にしたことがある。醜かったり美し過ぎたりすると虐めの標的にされるなどの性格が歪む機会が増え、その皺寄せが親にくるという論理だった。まあどこからツッコミを入れたらいいのかも分からないような珍説だし、多分情報元を辿ってもせいぜいグータンヌーボくらいにしか辿り着けないだろう。
色々な物事における自分にとっての「ポイント」を僕は探り続けている。価値観が十年後くらいにはもっと固まっている気もするし、死ぬまで永遠に変化し続けるような気もする。