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企業のCEO達は「一般庶民ですよ」みたいな顔でTシャツを着てプレゼンする

 マッシュベースの襟足だけを伸ばしている髪型で根元だけ赤や青に染めているような大学生から二十代前半くらいの子が、自信のなさそうな喋り方をしていても驚かなくなった。それだけファッションで強い主張ができるのならもっと性格の強さが垣間見えてもいい気が以前はしていたし、あるいはコンプレックスの裏返しで派手な格好をしているのかとも考えたが、近年ではどうもあまり関係ないらしい。単にファッションの多様化が進んだのである。僕が歳を取ったという事実も無視はできないが、ここでは触れない。
 内気な人もオーバーサイズの服を着て腕にはタトゥーを入れているし、輩みたいな奴だって無印良品の広告のような格好をしていたりする。 企業のCEO達は「一般庶民ですよ」みたいな顔でTシャツを着てプレゼンするし、一部のラッパー達はなぜかアウターを着込んでリュックを背負ったままライブをしているし、僕はちょっと前にタンクトップに海パンでnoteの記事を書いた。

 オーストラリアに住んでいた最初の頃、いわゆる「プラスサイズ」なのだけれど自信に満ち溢れている女の子を見るのが新鮮だった。ぽっちゃりなんていうオブラートでは到底包めないような規格外の体型の娘でも、ばっちりメイクをして胸元の大きく開いた服なんかを着て堂々と喋っていた。彼女達は自信というものが魅力になるとよく分かっていたし、実際にモテていたりした。日本では現役を退いたおばさん達を除き、太っている女の子は内向的になる傾向が非常に強い気がする。シャイなこと自体は問題ではない。しかし、自信がないと物事の価値判断を他人に頼ってしまうので主体性が欠落してくる。自分の意見がないと他者の中で自らを相対化できないので客観性もなくなる。
 十代の欧米人の女の子を見て「大人っぽい」と形容する日本人は実に多い。彼ら彼女らは日本のロリコン文化の特異性を俯瞰できていない。欧米人の女の子が早く一人前の女性として見られるようにセクシーさを追求する一方で、日本人の女の子はいつまでも無垢な少女として見られようと無意識に努める。知らず知らずのうちにロリコン野郎どもにウケる美を追い求め、男側も少年漫画のキャラクターみたいな容姿を目指す。それが大人になっても続く。世界的に見ると自分達が「子供っぽい」と見做されかねない点について、両者はほとんど気づかない。

 なんだか批判的な文章になってしまったが、前述したようにファッションの多様化が進んだことで、そこにある独自性はおそらく薄れてきている。大層な意味を求める方が無粋なのだ。それぞれが好きな格好をしていればいいし、そこに主義主張なんてなくても全然構わない。
 僕はヘインズの黒のTシャツにナイキのスウェットという格好でこの記事を書いた。パンツはカルバン・クラインである。それは自信とはなんの関係もないし、コンプレックスの裏返しでもない。多分。


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