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走馬灯

 笑い飯のネタの一つに箸の正しい持ち方を口頭で事細かに説明する漫才があり、たまに思い出してはYouTubeで見直す。かなり早口で捲し立てて聞き手を置き去りにするというボケで、実際に箸を持って手本を見せればいいのにあえて言葉で描写するところに可笑しみがある。動画のリンクを張らずに芸人のボケを文章で説明する行為に可笑しみがあるのかどうかにはちょっと自信がない。

 実家の近くに押しボタン式の歩行者用信号が付いたT字路がある。僕の古い記憶という頼りないソースに拠れば、歩行者用信号は一定時間が経過したことで切り替わるということがなく、ボタンを押さない限りはずっと同じままだった。車両用信号も同じような仕組みである。どこかにあるセンサーが特定の位置で車を認識した際のみに信号が切り替わり、車が通らなければずっと同じままだった。当然ながら歩行者用信号と車両用信号は連動しているので、歩行者なり車両なりが一人か一台でも居ればこのT字路はアクティブになる。逆に言えば、誰も利用していない時は同じランプが惰性で灯され続けているという訳だ。ここから先の文章は、Tというアルファベットを上空から眺めているイメージを浮かべながら読み進めて欲しい。Tの字の上部の広いスペースをAとし、左下をB、右下をCとする。押しボタン式の横断歩道はAとB、AとC、BとCのそれぞれの間に計三つある。少年だったある日、僕はBからCへと横断歩道を歩いて渡ろうとしていた。歩行者用信号は赤を灯しており、僕はいつもそうするようにボタンへと手を伸ばした。その時に閃いた。わざわざ信号を切り替えずとも、Aを経由すればCに行けることに気がついたのである。僕はBからAに渡り、AからCへと渡った。振り返ってみた時、渡った二つの横断歩道はまだ青のままだった。僕は自分が天才だと確信した。別のある日、僕はAの右側から左側へと自転車を走らせていた。T字路を利用する必要はなかった。ふと、Tの縦軸の車道に車が軽く渋滞していることに気付いた。先頭車両がBからCの横断歩道の上に差し掛かる位置で停車しており、車両用センサーに認識されていなかったのである。苛立っているドライバーの顔から既に数分は無意味に待ち続けていたのが分かった。その後ろには五台くらいの車が並んでいた。僕は自転車を漕ぎながら左手をハンドルから離し、AとBを結ぶ横断歩道の押しボタンに手を伸ばした。少し無理な姿勢になったのだけど、ボタンが沈み込む感触が指にはっきりと伝わってきた。僕はそのまま一度も振り返らずに自転車を漕いでその場を去った。背中に後続ドライバー達の拍手が聞こえてくるようだった。

 おそらく、死ぬ間際に走馬灯のように思い出すのはこの手の下らない記憶に違いない。ところで「走馬灯のように」という例えはありきたりだけど、「走馬灯」という物を説明できないことに気付いたのでグーグルで検索してみた。何の足しにもならなかったが、僕の記憶の大半はそういう情報で形成されている。

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