自分の寿命より長持ちする革ジャンを着て
昔から何度も繰り返し見ている映画の一つに『ファイト・クラブ』がある。説明する必要も感じないので内容については触れないが、見た後にはちょっと世の中に物を申したくなるというか、パンクっぽい好戦的な精神状態に一時的に陥る。日本の映画で言えば北野武の『アウトレイジ』を見た後に「なんだ、このヤロー」と言いたくなるのと同様である。多分、現状の自分自身への不甲斐なさの裏返しなのだろう。
僕はある時ふと思い立って『ファイト・クラブ』の原作小説を読んでみて驚いた。変更されている物語の筋やディテールの多さに面食らい、映画の方が全ての点において圧倒的に優れていると感じたからだ。勿論、文章と映像という全く別物の表現を比較するのはナンセンスだし、あるいは僕の映画版に対する思い入れがちょっと強過ぎた節はある。しかし、少なくとも小説を読み終えた後に誰かを殴りたくはならなかった。映画の中にあった詩的なナレーションで「自分の寿命より長持ちする革ジャンを着て」という一節が気に入っていたのだけど、これが原作の中には見つけられなかったのには拍子抜けしてしまった。小説っぽい表現だと思っていたので意外だった。
少し前に『鋼の錬金術師』のアニメを全話見た。友達に元漫画家志望でジャンプにも持ち込みをしていたような男がいて、彼にかねてから勧められていたのである。正確には『鋼の錬金術師 Fullmetal Alchemist』というタイトルで、2009年から2010年にかけて放送されたバージョンである (英語圏では『Fullmetal Alchemist:Brotherhood』という副題が付いている)。ちょっとややこしいことに、ハガレンはこれより以前の2003年から2004年にかけて既にアニメ化されている。この『鋼の錬金術師』という最初のバージョンは、放映当時に原作の連載が終了していなかったために途中からかなりオリジナルの要素が強いストーリーを展開する。それに対して僕が見た二番目に制作されたバージョンは、基本的に原作の内容に準拠しているようだ。まあ原作は読んでいないので分からないのだけれど。
アニメを見た率直な感想は「やっぱ原作読まなきゃ駄目だわ」である。元も子もないにも程がある。しかしどうにも展開が急過ぎると感じる箇所が多く、説明がところどころでやや不足している印象を受けてしまった。もちろん充分に楽しめるクオリティーだからこそ最後まで見れたのだけれど、制作側の苦労が所々で垣間見えた。各話毎に起承転結を作るためにエピソードを前後させたり、あるいは泣く泣く割愛・省略したであろうと窺える痕跡があちこちにあった。これは一度原作を読んで補完しなければならない。
というわけでハガレンの漫画の全巻セットを近々買うつもりである。しかしまあ『ファイト・クラブ』のように、原作の方が映像化された作品より微妙というのは結構稀なケースだという気がする。