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HPが圧倒的に増えたけれど防御力はそのままみたいな状況

 「若い頃は体の傷の治りは早いが、心の傷が癒えるのには時間が掛かる。年を重ねるごとにこれは逆になっていく」。どこで聞くなり見るなり読むなりしたのか忘れてしまったのだけれど、この人生の酸いも甘いも知っていそうな誰かの格言というか教訓を知った時の僕は十代後半くらいだった。「そういうものか」と意のままに感心させられた。
 年を取ると身体的な疲労に敏感になることはよく語られる。連日のデスクワークで肩や腰が重いとか、子供の運動会で張り切り過ぎて怪我をしたとか、深酒すると翌朝にも倦怠感がなかなか抜けないとか、基礎体力や新陳代謝が低下したことによる体の変化・不調はある意味分かりやすい。これらは自虐的なエピソードとして話せば面白がってもらえる。
 一方、精神的な疲労についてはそこまで開けっ広げに語られない。ストレスというものはほとんどが人間関係の中での軋轢から生まれるので、具体的なエピソードを挙げてしまうと生々しくなり過ぎてしまうからだろう。愚痴を言えるのは同じ不満を共有できるコミュニティ内に限定されがちであるが、その中で文句ばかり言っていても角が立ってしまうというジレンマだ。おそらく多くの人が取るのは「ある程度諦める」という戦略だろう。解決しようのないものだと認識して受け入れてしまえば、アクティブに苦悩せずに済む。

 三十代になった今、確かに体の傷の治りはどんどん遅くなってきている。それにちょっとでも睡眠時間が不足すると本当にだるくなる。もちろん傷を負うような危険な状況を事前に避けられるようになったし、運動と食生活には気を遣っているので生活にそこまで支障はない。それからたまに筋トレで追い込み過ぎてちょっと関節を痛めるみたいな本末転倒の事態は発生するが、それはまあなんというリスクヘッジ上の折り込み済みの要素だ。攻撃は最大の防御みたいなことである。
 一方、心の傷は別に全然早く癒えない。ちゃんと痛いし引きずる。より正確には精神的には昔よりずっとタフになっているので、相対的に見ればダメージは大したことない場合が多い。なんというかHPが圧倒的に増えたけれど防御力はそのままみたいな状況だ。攻撃してくる相手の罪は軽くならないし、どれだけ大きな車に乗っていようと小さなかすり傷はやはり気になる。世間の流れに便乗してドレイクをディスっているような連中を見ると、こういう奴らが本当の意味での「敵」だなと感じる。たった今「てき」を変換しようとしたら「的」になったので、これはなんだかラップの歌詞で使えそうである。

 ちょっと例えが多過ぎて訳が分からなくなってしまったが、まあとにかく格言なんてものは適当に聞き流しておいた方がいい。という訳で最後にもう一つだけ引用する。「賢者が格言を作り、愚者がそれを使う」。これも情報元を忘れてしまったのだけれど、ここで使った時点で僕の負けである。


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