生活のコア

はしごです。

百貨店での籠城や、閉店後やポストアポカリプス後のショッピングモールを探検するの憧れますよね。リンドールのチョコ食べ放題とかウェッジウッドの皿投げ放題はヤバいな……いやでもウェッジウッドの皿はたとえ文明が崩壊した後でも躊躇して投げられない気がする。だって文明が崩壊してるんですよ!?もう作れない……貴重だから大切にしたい。でもそういう貴重な物品を「もういいじゃん、今生き残るのに投げるしかないじゃん」と武器にするのが醍醐味ですね。

サティのジムノペディやグノシェンヌは眠る前に良いですよね。サティの「犬のためのぶよぶよとした本当の前奏曲」のほうは寝る前に聴いてると曲調が先ずあんまり眠りに向かないし、いま再生してる曲は何かな〜と曲名を見ると「犬のためのぶよぶよとした本当の前奏曲 第一 きつい叱責」でいまこれ夢でも見てるのかな?みたいな気持ちになるので変な夢を見るための導入には向いてるかもしれません。聴くスティルトンチーズ。

枕は良いの使いたいなーと思います。ニトリの肩・首・背中も支える枕、買ってみようかな……

生活の中の譲れない部分、結構たくさんある気がしますね。そしてたくさんあるが故に、ひとつくらいはおざなりでもよいか〜となったりして、じゃあそれは譲れてるじゃないかと思ったり。そういうのに左右されず絶対にこれだけは守る!というこだわりがあるとするならば……歯みがき。歯みがきです。起床後、毎食後、就寝前の歯みがき。寝る前はフロスとデンタルリンスも。歯みがきにこだわり始めたのってここ数年のことで、それ以前は「歯みがきは寝る前にすればいいでしょ」くらいに雑だったんですけど、歯列矯正を受けるためには虫歯ゼロをキープする必要があるよ!と言われたのと、なんか丁寧に歯みがきすると「今日もちゃんと歯みがきをしたな!」と達成感を得られるようになってきて、こまめに歯みがきをするようになりました。そしてこまめに歯みがきをしていると、その水準というか爽やかさをキープしたくて「歯みがきしなきゃ!」の気持ちが頻繁にめちゃ湧いてくるという。あとデンタルケア・オーラルケア用品への興味が強まりました。今はジェット水流とか超音波水流できれいにするジェットウォッシャードルツってやつがほしいです。使ってみたい。

歯みがきにこだわってるの、睡眠時間が長いから、というのは理由として大きいですね。18時間とか連続で寝ちゃう時、できるだけ寝る前に徹底的に口中を浄化しときたい。虫歯は寝てる時の乾燥した口中で進行するので。だから寝てる時にしっかり口を閉じて寝て鼻呼吸するように意識したり、もあります。これは睡眠のこだわりでもあるのかも。寝る前にフロスやデンタルリンスまでしておくと、起きたときに口が爽やかで寝覚めが良いのも好きです。寝てる間に口の中でナノロボットが動き回って歯みがきし続けてくれないかな〜。睡眠中に血中に栄養を点滴で送るのも、人工透析するのも全部やってほしい。寝て起きたら心身が最高の状態になっていて体力が完璧に回復している夢のような睡眠。寝てる間の記憶の整理や定着とかも操作できる技術が出来たら良いのにな〜。睡眠学習したい。あと見たい夢が自由に見られたら夢も現実もかなり質が良くなって幸せそう。欲望は尽きない。

人のこだわりを知ると真似したくなるところがあって、人がAmazonのほしいものリストに入れてる商品だったり、人が使ってて使い勝手良さそうなものを見てると自分も欲しくなって買っちゃうんですよね。そういえば歯みがきへのこだわりも、すごくこだわってる人を見て良いなと思って真似たのがきっかけだったかも。人にプレゼントをするときも、相手が欲しいと思っていて、私もそれが良いと思えるものを選ぶようにしたい。プレゼントって物を贈るのに際して二者間の価値観の照合や共有の側面もあるなーと思っていて。だから贈ったものを相手が大切に使ってくれていると、我が事のように嬉しいというか、実際に半分くらい我が事でもあるんですよね。これはもしかしたら支配欲とか征服欲みたいなものに掠っているのかもしれません。相手の生活の中に自分を忍び込ませたい、みたいな気持ちが。逆にそういう支配欲めいたものが気になったときは、物品として残らない、食べたらなくなるお菓子などを贈ったり。プレゼント贈るのって相手のこと考えるし、相手のことを考えると必然的に自分と相手の関係を考えたり、未来のことを考えて、案じて、できるだけ良いように舵を切ろうとしていく逡巡と決断があって、でもそういう迷いって相手に相談せずに決めたときに負うことで初めて起こる迷いで、だから案外、勝手にプレゼント決めてサプライズで渡すのってめちゃくちゃ愛と勇気と知恵と力が要るし(トライフォースか!?)(クアドラプルだった)、サプライズのプレゼントは上手く行ったら本当にすごいよなーと思います。サプライズじゃなく、贈る相手と相談してプレゼント決めるのむしろ失敗することへの怯えが強いのかもしれないな……。勇気の不在が優しさを生むならそれでもいいのかもしれない。いや勇気が生む優しさもあるな。ここらへんのフレーズみーまーっぽい。存在の正しさは不在。みーまー再読したくなってきた。最近『安達としまむら』読んでてすごく思ったんですけど、踏み込めない人間が踏み込む瞬間、踏み込める人間が踏み込まない瞬間、マジで愛じゃん!って思います。迷うことと決めることを繰り返し続けるのが愛ならば、それは生活とすごく似ているんだよな……。愛は生活。生活は愛。えっじゃた生活能力ゼロゼロ人間は愛能力はどうなの!?いやゼロじゃないし!愛の力はちゃんと……いや自信ないけど……多分ある!そう信じてやっていきたい。生活能力を向上したい!って気持ちは直接ないし遠回りな自分や周囲の人への愛情だし、そういう愛情を持っていると生活が良くなる感じが。いやわからん。これはそういう正の循環があってほしいという願いかもしれません。

自分の生活の、本当に、絶対に譲れない部分、生活のコアになっている部分は多分これです。良くなってほしいという思いと、良くしようとする行動が、少しずつ何かを変えていくことを信じたい。逆にそれが自分を苦しめている部分もあるのかもしれません。改善点が分かっているのに治せないと、それが自分の怠惰のように感じてしまったり。きっと変えられる!という気持ちが、変えられないことの無力さを発生させて。ほどほどに頑張って、ほどほどに赦して、だらけたりしながら、でもたまには頑張ってみたいかも……くらいのちょうどいいバランスを見つけたい。これ自分だけじゃなく他者に強く向けてしまった場合は相手を追い詰めてしまうとも思うので、自分でもブレーキかけたいなと思う部分です。改善や改良を強いる人になってしまったことはある気がする。人には人の生活があるので、それをちゃんと大切にできるように、ずっと気をつけていきたい。自分の思う「踏み込んでもいい/踏み込んではいけない」のラインは相手とは全然違うし。そのラインのすり合わせは話し合わなきゃできないし。話し合う場があるときにちゃんと話しておきたい。


取り止めもなく長くなっちゃいました。次の話題はにゃーしきさんにお任せします。






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