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【放送大学】錯視・錯覚・・・世界のとらえ方

先日出かけた「光と動きの100かいだてのいえ」は、「錯視」・・・いわゆる「目の錯覚」を楽しめる企画でした。

今、放送大学で「錯覚の科学」という講座を受講しています。この講座の導入でも錯視が紹介されているのですが、そこで説明されていたのは、錯覚は目で起こるのではなく、脳で起こるのだ、ということ。

例えば、美術作品に使われる遠近法も錯覚の一種だそうです。目のレンズはカメラのレンズとそっくり同じ働きをして、網膜に反転した絵画の像をそのまま映します。この時点では、例えば放射状に延びた線や、色が不鮮明な部分、などが映っているにすぎません。
それに意味づけするのは脳の役割で、例えば線の角度から「手前から向こうへ、塔に向かって道が延びているんだな」とか、色のぼやけ具合から「この山はずっと遠くにあるんだな」などと「判断」するのだそうです。
いわば、脳に「視覚情報」が入力されて、脳から「推論した3次元空間」が出力されている、といえるのではないかと思います。

そして続く章では、視覚情報以外の入出力も考えていきます。色々な「情報」を入力すると、脳は「記憶・認知・判断」などを返してきますが、時々、入力したのとは異なるものが返ってきます。例えば記憶の欠落、勘違い、誤解、など。これも広義の錯覚といえるのでは?という視点で講義が進んでいきます。

私はどちらかというと、物事を悪い方に考えてしまう方なのですが、このテキストを読み進めるほど、なんとこれまでに多くの勘違いをして生きてきたのだろう、もっと楽に生きてくればよかった・・・とため息が出てしまいます。

特に、「酸っぱいぶどう」という例でも知られている「認知的不協和理論」。
「おいしそうなぶどう」なのに「手に入らない」時、その不条理を解消するために、人は「酸っぱいぶどうに違いない」と思い込んで諦めるのだそうです。

楽しそうな集まりに誘ってもらえない自分を卑下したり、初回に母が慰めてくれなかったつらい体験を自ら何度も起こしたり。
あぁもう、心当たりがそこかしこに溢れすぎてつらい!!

一方で、中年になってほどよく感受性や記憶力が低下してきているのでしょうか、昔の反省はさることながら、「今、こういう考え方で損していたり、周囲の気持ちを害したりしていないかな」と我が身を振り返るよいきっかけになっているようにも思います。

世界をそのままとらえることが叶わないとしても、できるだけフラットに、よい形でとらえていきたいと思います。

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