自分を救うための作品だった
ひとつ、自分語りをしよう。
先日卒制のリライト作品を投稿した。
と言っても新たに書いたのは最後の方でほんの少し、原初の魔女と対話するシーンだけなのだが。
この作品の根幹となる「生きる意味、物語を紡ぐ意味」に必要だったパーツとして、作者である自分自身の肯定が必要だった。
卒制を書いていた当時はとにかく病んでいて、あの台詞は書けなかった。自分自身の生きている意味がわかっていなかったからだ。
今も生きてる意味をわかっているのかと言われたらそうでもないが。
ただ、誰かに「生きていてくれてありがとう」と言われたら、それだけで生まれてきた価値はあると思うのだ。
小説を読んで「救われた」と思う人は少なくないと信じている。
なら、小説を書いて「救われた」と思う人はどれだけいるだろう。
自分はこの「魔女は炎を抱く」を書いて、救われた気持ちになった。
この作品は自分のための、作品だった。
さて、次は何を書こうかな。