私のSE経歴 1/4
私の経歴を4回に分けてアップしてまいります。
まずは、20代の頃。
先に話せば、下地となる仕事の進め方と、仕事に対する気骨を得た事。そして、それに反して、嫌な思いも経験した事になります。
1.Iターンで就職
以前書いたとおりです。
都心勤務も考えましたが、思うところと当時の環境から、結果として地方へのIターンでとんとん拍子で決まりました。
戻りたければ、本社がある東京に転属願いだせばいいわけで、ある意味それは後半叶いました。
住めば都と言いますが、私には決して地方(電車が1時間に3本あるかないかで、バスも決して便利ではなかった)は、住みやすい場所ではありませんでした。
2.入った支店は、仕事において良かった
転属後も、その後転職し続けた、最初の会社より小さな企業に比べ、かなり良い仕事スキルが得られる会社であったことは、間違いありません。
相応に大きく(支店としては小さかった)、上場しており、請負メインである事は、それなりにノウハウや組織化されており、SESのようなプロジェクトごとに場所が変わったり、一本化しない業務知識すらえられない企業では、単に一時的助っ人要員的なキャリアも構築できない人生で終わってしまったと思います。
その後、転職を数回経験できたのは、その時々に求められたものを得ていた事と年齢が大きくありますが、ネームバリューと言う後ろ盾があったからでもあると感じてます。
勿論、一兵卒ですから看板で勝負しているだけですが、わかる人には、sの会社の請け先や所長クラスの名前で、どういう仕事ぶりをしてきたかわかるわけです。
3.年の4分の1はホテル暮らし
請け負った仕事は、完全にある分野でして、よほど方向転換しない限り、その仕事がなくなる事はありませんでした。
その為、ほぼ最初から最後まで会社で請け負うというもので、特に最後にユーザに導入する際、大手上場のユーザでありもしたため、大型で複数のシステムが稼働しており、毎年4分の1は顧客近くのホテルに常駐して、導入テストをする習わしでありました。
当時、地方で土日は農業を学ぼうと思ってもいましたが、とてもそんな余裕はありませんでした。夜勤も経験(夜にテスト)してましたし。
4.そして初めての疾病
最初の頃は楽しくもありますが、3畳くらいのホテルだと息苦しくもなりますし、なんとも侘しくなりもします。
更に、毎晩先輩達の酒飲み夕食に付き合わされたり、週末はキャバクラに付き合わされるわ、元請けの接待やらで、1年目で胃炎を起こし、ドクターストップで帰京した経験もあります。
1か月で12Kg落ちたかな?。
ガンかと思ってね。
胃が真っ赤になっていて、やぶ医者通院したからか、毎週胃カメラ飲んで、洗浄したりで3ヶ月通院。その間、うどんをゆでた汁だけ、やっと飲める毎日でした。まだ小さないとこがケーキをもって遊びに来ても、生クリームを見るだけで吐いてました。
もう苦しくてたまらないので、思い切って大きな病院に変えたら、腸まで見てくれて1回で終了しました。
会社も病院もしっかりとしたところ選ばないとね、得るものも得られず、結果も出ないとわかりました。
5.暴力ハラスメント
帰京するも休職という扱いをしてくれず、欠勤続きとなり、1か月目は給料を返還した(前払いだった)経験もしました。
そして、出社したり通院したりの毎日で、3ヶ月目には「出れないなら辞めるか?」と退職勧告。
「でます!」と。
当時は平成でしたが、転職と言うのは簡単にできる時代ではなく、辞めて探すにしても、仕方がわからず、ハローワークで職業訓練なんてのも知らず、貯金もないので学校で学びなおしもできませんでした。
なので、2年目はしばらく定時で帰れる簡単な仕事で復帰作業。
それから元の仕事の状態となり、なんとかやり通した事になります。
その出張中の毎晩の飲めない酒以外に原因もあったのです。
それはハラスメント。
殴られる事はありませんでしたが、毎日罵倒されるか蹴飛ばされるかで、同期も蹴飛ばされたり、泣かされる子もいた部署でした。
本当に辛かったです。
今でもその人はいるようですが、全体的に退職者や異動者がかなり多くもあり、当時のまま残っている人はあまりいないそうです。
6.3年目からは地獄
3年目から、本来請け負っていた分野の事業での仕事が取れなくなり、課レベルでもチームで仕事する事が、どこも少なくなり、他のプロジェクトの応援や一時的な別作業というのが、私含めた一部の人は多くなりました。
その一つに、炎上プロジェクトがあり、2日に一度数時間寝に寮に帰るというのが4か月続いたものもありました。
この時だけ、フルで残業代を貰えたのは。
しかも会社が翌年合併と言う事で、退職金も払えない赤字状態続きで、最後の賞与はかなりの額を貰い、やっと4年目から貯金が出来たという人生でした。
学生時代にためたバイト代や、親戚の家にお手伝いに行って、幾ばくか頂く生活でした。
7.20代は、毎週日曜以外出勤
ほどなくして異動。
半年は願いを受理するのにかかりました。
そして、私が先陣切る形で、その半年後には、多くの先輩が異動にもなっていきました。
支店としては、もう仕事受けられない状態でもあったのでしょうね。
異動後、まず感じたのは、「良い先輩だらけ」だった事。
これが、普通の環境なんだと。
体調崩した事で給与の上りも悪かったのか、その時の仕事を全うしたのかで、2万昇給してもらいました。
環境変わるだけで、認められ方も変わるわけです。
しかし、追い打ちをかけるように、ある派遣とぶつかり嫌な思いをし、その派遣は切ってもらいましたが、別の緊急プロジェクトに中途と組まされてからは、平日は最終で日曜以外出勤が半年以上という状況となりました。
中途の成果主義に入り込まされた形でね。
「移っても同じか」と落胆する暇もなく、精神的もおかしくなり、退職を選びました。
8.それでも
それでも、最初の会社で得られた経験は、その後転職していった、どの会社よりもしっかり育成させて貰えたことは事実。
今だと、様々なIT職を経験できる企業がありますが、当時は「請負」が主流であり、ピラミッド構造であるため、やはり上位層にいないと、ただの日雇いプログラマーか、悪ければテスターやコールセンター業務のような、ITエンジニアとは到底呼べない仕事で終わってしまう事になりえます。
仕事選びから、今では細分化されてもいますので職種選びになりますが、会社選びも重要であります。
健康診断も毎年受けられる事や、健保組合が相応に大きい等もメリットありますしね。
情報提供や考え方、そしてこれまでの苦々しい経験での対価として、ありがたく頂戴致します。