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あ、こんなところにエイゴ沼にはまった外資系ジョブホッパーが。② ~おめでたいバカは得~

英語を学び始めたころについて語る前に、そもそもの私の学習に対する姿勢や先天的な能力について語らねばなるまい。
それには、赤ん坊のころまでさかのぼる必要がある。

2011gの未熟児として生まれてすぐに感染症にかかった。
さっさと母親から引き離され人工保育器にお世話になるような乳児だったため、如何ほど親に心配をかけたかと思う。
そんな虚弱な乳児も命拾いをして母と退院してからは、よく喃語を話す大層元気な赤ん坊と化した。
とにかくしゃべる。
はいはいにもつかまり立ちにも興味がないようだが、ほっといてもテレビに向かってアーアーと機嫌よくしゃべっている。
初めての言葉は「ばっばい(バイバイ)」
あまつさえ、ご丁寧に手を振る動作付きだ。
生後10か月の割には上出来ではないか。
言葉の習得への関心度合に関しては、乳児のころより比較的高度なものだったと結論付けても差し支えないだろう。

言葉の習得に関して「だけは」。

生後18か月を過ぎたころ、父親が重そうに口を開いた。
「そろそろ病院に連れて行ったほうがええんちゃうか」
いつまでたっても歩かないどころか、体を支えてやりながら立たせてやってもヘニャヘニャとしな垂れ折れるようにバランスを崩す。
そして、歩行への関心の致命的な薄さよ。
てめえで歩いて玉子ボーロでもキッチンから盗み取ってくる気はないんか。
いやまさかコイツ感染症が尾を引いているのでは。
命あっての物種、蝶よ花よと育ててきた親が心配するのも無理もない。

そんなある日のこと。
母方の親戚を訪ね、沖縄は慶良間諸島に数泊することになった。
慶良間諸島といえば、世界屈指の透明度を誇る海原の広がる北浜ビーチである。
ちんちくりんの1歳児にビキニを着せ、母が優しく手を引こうとした、その時である。
急にそのちんちくりんが、サラサラとした美しい砂の上をドタドタと走り出したのである。
自力での「たっち」をすっとばして、「進撃の巨人」に登場する奇行種そっくりのフォームで走り回るその姿。
病院通いを危惧した父親の切実なる思いが起こした奇跡である、
わけがない。
見たこともない絶景にテンションがあがり、急激な限界突破を果たした、が正しい。
私に必要だったのは西宮の1LDKでつかまり立ちできるベージュの壁ではなく、果てしないケラマブルーと純白の砂浜だったのである。
『めっちゃキレーじゃん、なんならここで本気だしてやっか、うぉりゃっ』
興味のないことはまるで努力しないが、極上の餌を見せられると短絡的に飛びつき、平均未満の能力は発揮する。
今もそうだ、なんせガキン頃からの性分でして。

端的にいうと、運動音痴で能天気なおしゃべりが幼稚園児のころには完成していた。
今では信じられないことだが、その頃の私は正しいイントネーションで関西弁を駆使していたらしい。
しかしそれも、3歳のころに父親の転勤に従って移住した横浜できれいさっぱり忘れる。
身もふたもないが、3歳から5歳の間に体に染み込ませてないとどんな言語でもネイティブな発音はなかなか会得できないと確信している。

さて、横浜は本牧での新生活。
親に入れてもらった幼稚園は比較的教育熱心なものだったと記憶している。
机に向かって行うことはおえかきや工作よりもひらがなやカタカナの練習の割合が高かった。
運動音痴な一人っ子の性か、私の唯一の趣味は絵本を「見る」ことだったので、文字を覚えることで絵本に登場する絵に明確なストーリーが与えられていくことが衝撃的だった。
もじのおべんきょうだけは頑張れた。
ピアニカ吹けば前衛芸術、走らせれば欽ちゃん走りだったけど。
…あ、そうそう、アラサーです。欽ちゃん走りは実際にはよく知らない。

小学校に入学すると、近所の子供たちと遊ぶことに夢中になる。
また継続的な努力が全くできないことが露骨に表れ、アサガオ植えれば枯らせ、絵日記書かせれば明らかな手抜きが随所にみられるようになる。
ある意味では健全なお転婆娘のように思われるかもしれないが、
この頃になると元々幼稚園児のころからちまちま受け続けていたいやがらせがいよいよ小学生なりに苛烈になってきて少し参っていた。
その癖に学校は大好きだったのだから、結局は能天気であることがどれだけ学習の助けになったかわからない。
いじめを受けていたのは今となっては仕方ないとも思える。
ちびでかけっこはビリで勉強もできないとか、どこの野比のび太かと思うもの。
実際、その8年後、当時の通知表を見てびっしりと並ぶ「2」に卒倒しかけた。
それでいて、小学一年生の最初の単元がひらがなを最初から一文字ずつ学ぶという幼稚園で先取りしている内容だったため、割と勉強はちょろいと思っていた。のび太のくせに生意気だ。

バカゆえの能天気さで毎日楽しく学校に通い笑顔で帰宅していたので、
いじめ現場を親に見られるまでは本格的ないじめられっ子であることは親にばれていなかった。
ばれてからは多少はストレスが原因で勉強ができていなかったのかと親も考えたようだが、
最終的には早生まれ故に同級生と比べて発達の遅さが目立つだけであり問題ないと結論付けたようである。
実際、親はどんな場面でも一切不安げな顔をせずに私を育ててくれた。
この子育てへのスタンスは、イギリス行きが確定してからも私をいろんな場面で救ってくれることになる。

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