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KOTOBA in da house

2020.08.04

人生には言いたかったけど言えなかった言葉が、きっと腐るほどあって、それを言えるようになるか、言わなくてよくなるか、どちらかに進むためには自分で考えて自分で行動するしかない、みたいなことを考えていた。

「言えない」のままで心の中に置いてある言葉は、いつの間にか色んなタイミングで自己主張をしてきて、「言えない」のくせに存在を露わにして、また頭の中を支配する。頭の中を支配するだけならまだいいけど、別の「言わなくていい」ことや、ひいては「しなくていい」行動に姿を変えて、邪魔してくる。

やっかいだ。今の私には「言えない」のだ。それ以上でも以下でもない。どうかもっと生産的で楽しくて夢があって現実が変化する言葉や行動に変わってくれ。でもそれを置き換えられるのは自分だけ。

な。

そんな「言えない」言葉が腐るほどある一方で、受け取った言葉にどんな意味があるんだろう。私のもとに届いた言葉は、言われたそのときすぐに理解できて効いてくるものばかりじゃなくて、3日後、もしくは3ヶ月後かもしれないし、3年後なのかもしれないけど、大切に持っていたらいつかどこかで自分を奮わせてくれるようなものもあるだろう。

私も「言えない」の代わりに、誰かの心にそっと寄り添うような言葉を、与えられているといいな。きっとそうしようと意識してできることではないから、とっても難しいのだろうけど。