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あきた朗読おとぎ芝居_辰子姫/辰子姫 弐

『辰子姫』
日時:4月13日(土)15:00~16:00ほど
場所:由利本荘市文化交流館カダーレ 市民活動室

『辰子姫 弐』
日時:8月11日(日)14:00~15:00ほど
場所:仙北市民会館ホール

これはもう子どもたちの地域教育に活用されてほしい。1作目からずっとそう思っている。今作では子どもたちの交流もあり、けなげにセリフをよむ子どもたちが本当に可愛くて泣いた。しかもバックステージツアーなるものもあったそうで、これほど子どもに戻りたいと思う瞬間は久しぶりだったが、誰かの保護者になるのが一番現実的だろうか。
それはさておき、誰も死なない、誰も悪じゃない、すべてがめでたしめでたしで終わる。あまりにも教育に向きすぎていると思いませんか。そして、物語が伝承していくとはまさにこういうことなんだろうと思う。昔話が形を変え、みんなに伝わりやすい形で広がっていく。自分が幼いころ、自分の住んでいる土地の昔話をこんな形で聞くことができたらなんて贅沢だっただろう。なんてことを考えた。

以下感想では、寺戸隆之さん脚本の『辰子姫』および『辰子姫弐』からセリフを一部引用させていただいております。(『太字』がそれに該当します。)

2人の辰子

まずは、小麦さんの辰子姫と生駒さんの辰子が入り混じっているのが良いなと思った。佐藤の前に出てくる辰子と昔話の中の辰子姫。話的に分かれて描かれるのは当たり前のことだけども、それがまるで佐藤が思い浮かべる辰子姫(小麦さん)と田沢湖に住まう辰子(生駒さん)のようで『これは僕の知っている辰子姫伝説』『僕の希望や憶測ももしかしたら混ざっているかもしれない』というセリフに説得力(で良いのだろうか)が増すなと感じた。伝承によってその人が思い浮かべる辰子姫は全く異なるのだろう。それこそ、私も辰子姫を観る少し前に偶然たつこ像を見に行ったが、そこの看板で読んだ辰子姫伝説から、私は高嶺の花的な長い黒髪の女の子を思い浮かべていた。だからやっぱり人の数だけ辰子姫はいるんだろう。素敵だ……。そうなると、目の前に現れた辰子から「私の知っている辰子姫伝説」を聞いてみたくなる。
対して『辰子姫弐』では、昔話を始めるのが辰子からになっていた。こうなっても上記の関係は崩れず、"辰子から話を聞いた高橋が思い浮かべた辰子姫"の構図になっていて良いな~と思った。当たり前ではあるけど、でもなんかそういうのをちゃんと捉えてみるのも楽しい。

辰子が龍になるまで

昔話の中身の話と、昔話の語り方が好きだという話をしたい。
辰子姫が美しさを願ってからの展開がめちゃくちゃ好きだ。それより前が比較的とても穏やかだから、観音様への願いが叶い、泉に向かい始めてからの緊迫感がめちゃくちゃ伝わる。『辰子姫弐』ではその後を知っていることもありなんかもういたたまれなさすぎて行くな~~~!!!食うな~~~~!!!と思った。母くらい思った。前半は友人や父母など年齢も性別も幅広くどんどん役柄を変える語り部のお二方と辰子姫のコミカルな掛け合いがめちゃくちゃ良く、話としてもすごくテンポよく進むので、なおさら龍になってしまう怒涛の展開がつらかった。ここで立っている小麦さんの姿が何かしら変わるわけではない。でも雷雨が止んだらもう龍になっちゃったんだ……ってわかる。音響と照明って本当にすごい。情景がめちゃくちゃ浮かぶから辰子姫への感情移入でこっちも絶望する。そしてここでの小麦さんの泣き声が胸に来た。村娘の悲痛な泣き声すぎて。
昔話のイメージって、"自業自得です"感が強いと思っている。主人公や悪役のやらかしを元に、読んでいるこちらに教訓を伝えてくる感じだ。だからこそ、最初に複数のサイトで辰子姫の伝説を読んだ体感としては、老いたくないという執念で行動しちゃったから龍になっちゃいました……みたいな感じだった。それがこの『辰子姫(弐)』では、どんな日でも観音様に願い続け、父母がよく寝ていることも確認していて、とても純粋に見える。その結果が誤って魚食って龍になるなんて、あんまりだ…..涙
人の道に背いているからそうなるのはそうなんだけど、あの泣き声聞いちゃもう……

そして観音様は絶対優しいだろうからほんっとうに好き。威厳があるだけじゃない感じ。来てくれた者の願いをすべて叶えている気がするような、「百日間も通って大変でしたね……」と思ってくれてそうな。たぶん辰子姫が龍になったと聞いて「やばいことになりましたね……」と考えてくれた気がする。だからお母さんのところにも来てくれたのかなみたいな。眞庭さんの演じ方とエコーが相まって存在がほんのちょっとコメディに感じた。それこそここまではコミカルだったから後の龍になるところでつら……と思えるんだと思う。

昔話の語り方、たまに入るメタっぽいのが好きだった。『それは宮沢賢治でしょ』『大谷って誰よ?時代考えてよ!』などなど。ああいうの静かに口角を上げてしまう。話としてもそれがあるから、昔話に入りきるのではなく、あくまで辰子(佐藤)の口から語られていることなんだなあと分かる。あと『辰子姫弐』では昔話がひと段落ついたところで高橋がトイレに行くと言って舞台駆け下りてホールの通路をダッシュしたのでめちゃくちゃびっくりした。好きな演出発表ドラゴンが好きな演出を発表します「客席側も舞台の一部になるやつ」好き好き大好き~
『辰子姫』のほうで、佐藤がここで割と強引に話を終わらせたのが、龍になった伝説がある!?じゃあ龍になりたい!行く!の一心で田沢湖に来ちゃったことを裏付けていて良い~となった。観音様に泉に行けと言われた辰子姫と同じくらい視界が狭まっている~
急に話が変わるが、真坂さんの演じるこの佐藤と高橋の切羽詰まった感がこっちに尋常じゃなく伝わってくるのマジですごい。似合うといってしまっていいのかは分からないが、なんというか役を超えて本当に何かを抱えて田沢湖に来ちゃった人に見えた。本当にこういう人いるかもな……と(別作品になるが、野鴨でも同じことを思った。)見てるこっちまでなんか辛いねってなって呼吸しづらくなってくるような

龍になった辰子のその後とこの話の教訓

昔話の続きが話されるターン。ここの三澤さんのお母さんの声が本当に本当に苦しくてカダーレでも泣いたし仙北市民会館ホールでも泣いた。涙もろいのはそうなんだけど、そうは言ってもあんなに気持ちのこもった母の呼びかけで泣かないわけがない。疲弊していくのが分かるようだったもん。
そしてここで観音様が再登場してくれる。ありがとう!ありがとう…!
田沢湖に着いた母の辰子姫を呼ぶ声もまた涙腺に訴えかけてくる。そして龍になった辰子姫と再会を果たすわけだけども、母がただ名前を呼び続けるだけなのもつらかった。探し続けた娘が龍になって出てきたらそうなるか……見つけるとか連れ戻すとか戻ってこいとかもうそれどころじゃないもんな……それから毎年贈られてきた魚に母は素直に喜べたんだろうか、とか、なんだか色々もんもんと考えてしまった。絶対考えすぎ。

この後から『辰子姫』と『辰子姫弐』で話が変わってくるのでそれぞれ分けて思ったことを書く。
【辰子姫】
田沢湖の主となった辰子の生活を話し出すきっかけとなる展開がめっちゃくちゃ大好き。最悪なことが重なりすぎた佐藤の『龍は強い生き物です。僕は弱い。だから僕は龍に成りたい。龍に成って強くなりたい。』という待って!一旦落ちついて!と言いたくなるようなセリフ。その前に辰子が『辰子だって普通の女性でしたよ。』と言う。ここがなぜだかめっちゃ好き。そうだよ、辰子だって元から強いわけじゃないんだい。それが後からちゃんと辰子の言葉として回収されていくわけだが、私としてはここからが昔話でいう教訓のパートなんだ!と思った。あとここで登場する鴨たちがマジですんごい可愛くて好きです。
辰子には泣いてくれる母がいた、渡り鳥たちもいた、そして何より八郎太郎という存在ができた(ここで八郎太郎役を佐藤にやらせるのも好き)。それを話されても佐藤は『龍になれば一人でも生きていける。』とか言っちゃう。違う~~~!!!!龍になってもひとりは寂しいだろうが~!と思ってたらこの後辰子が全部言ってくれた。
めでたしめでたし。って確かに本当にいい言葉だ。いろいろあったけど最終的に良い感じに収まった感じがする。そして私はここまでで"マジで嫌になることいっぱいあると、孤独になっちゃったって思うかもしれないけど、必ず観音様のように助言をくれる人、渡り鳥のように話を聞いてくれる人、八郎太郎のようにそばにいてくれる人はいるはずだよ"という教訓を得た。そりゃ気持ちが軽くなるわ……看板で読んだだけだった辰子姫伝説が、語る人によってこんなに優しい教訓をくれるのかとびっくりした。

【辰子姫弐】
正直最初は高橋が田沢湖に来た理由にびっくりした。な、なんで来た~!?ってなっちゃった。あと国鱒の話のところで高橋が言った『奇跡ってそういう奇跡だったんですね』について、公演を観ている間は一瞬どういうことだい?って思ったけど台本読んでて理解に近づいた。(台本の販売、本当に本当にありがとうございます。)
秋田にいて湖でしか暮らせない国鱒が山梨で見つかったのが"奇跡"であって、国鱒を食べたら命が再生するというような"奇跡"はないということなんだなあ。
高橋が田沢湖に来た理由について、最初は!?だったけど、話を聞いていくうちに高橋さんそれは逃げじゃないよ……ってめちゃくちゃ響いてしまった。逃げた逃げたって言ってたけど、なんかもう今まで料理人として忙しくしてて、だから家族を全然気にかけられなかったのに、奥さんのことがあって今更気にかけようと思ったらそりゃもうどうしていいか分かんないだろうし、料理人の自分として国鱒取ってくる!って動くしかなかったのかなみたいな……つらすぎてまた思考をろくろのように回してしまう。
ここで辰子が突然どこからともなく国鱒を出してきたのが『辰子姫』の時より辰子のミステリアスさを引き出していてめっちゃ良い~!ってなった。人の形をした人ならざる感じが出てるとニコニコしてしまう。また好きな○○発表ドラゴンが来ちゃうよ
今回の教訓は、昔話らしくちゃんと教訓はこれ!というよりは、それこそめでたしめでたしに繋がっている感じがした。言葉がうまく見つからないが、『辰子姫』は佐藤が辰子姫の立場に近く、ちょっと空回りしたけど辰子に諭されて自分は一人じゃないという教訓を得て、これからめでたしめでたしと言えるようにしていこう!という感じ。対して『辰子姫弐』は高橋が悩める人で辰子がそれを助けてめでたしめでたしに導いてる感じ……?悔しいがこの感じた違いを言葉にできない。でもそういう風なことを感じたのです。悔しい

さて、そしてどちらにも共通して、佐藤(高橋)が辰子に名前を聞いたところでばっと暗転するの鳥肌が立った。また好きな演出発表ドラゴンが

エピローグ

辰子と話したことが夢とか幻の類だったやつだー!!!!好き好き!!!!大好き!!!!!!!!!!!!本当に好き。本当に……
おばあちゃん3人とっても可愛い、そしてまた会話のテンポが最高に良い……佐藤もとい高橋を見つけたときのぎゃー!3コンボ、笑った
そしておばあちゃんの辰子の認識がさ、もう何度言っていいか分からないが辰子が伝説上の人物であることがよく分かって本当にいいんだ、だから大好きなんだってこういう幻の存在に魅せられた人の話。地元の人にも幻の存在が知れ渡っていて、さらには『お前さん、それは辰子じゃよ』なんて身近な感じで語られてたらなおさら良いに決まっているじゃないか。(ありがたやありがたやも好き。)もしかしたら前にも何人か突然ぶっ倒れている人間をこのおばあちゃんたちは見てきているのかもしれない、そして全員が女の人を見ませんでしたか!?と聞いてきているかもしれない、などと考えては良い……となっています。佐藤さんも高橋さんも、本当によかったね……
最後の辰子が名乗るところ、照明で現れる影まで美しかった。劇中でも、確かに何も言い返せないなって思う気迫のある話し方や前を見据えている生駒さんの表情がとても好きで、それを最後の最後になって真正面でドン!と見せてくれて綺麗だ~~!!!!って、思いました……

おわりに

秋田にきて良かった。秋田がもっと好きになる。初めに書いたものにもつながるが、土地に根付く伝承を朗読という形で知るのは本当に素敵なことだ。私がもし次誰かに辰子姫伝説を語り継げるとしたら、どうやって話すだろうとか考える。
そして、私の地元の伝承もちゃんと知りたいと思った。ダイダラボッチというドでかくて心優しい青年の話。確かにこれも誰かから語り継がれた話だけど、でも私は誰かに語り継げるほど覚えていないかも。だから実家に帰ったらちゃんと調べたいなと思った。小学校のころ行ったきりの伝承館みたいなところにまた行きたい。
日々いろいろあるけどやっぱり最後はめでたしめでたしって、とっぴんぱらりのぷって言えるようといいな!!!!!頑張ろう!!!!!!!!


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