余計なお世話だよ
仕事へ行く
駅へ向かう
駅の前のパチンコ屋
パチンコ屋に並ぶ老婆
パチンコ屋の前を通ると必ず覗いてしまう。覗く先にはたくさんの高齢者が横並びに座ってパチンコを夢中でしている。
心配になるほど高齢者で埋め尽くされた店内、見事なまでの密集、密接、密閉。
死にたいのかな?そんな事を思った。
このパチンコ屋の前を通る度に考える。
コロナに感染し重症化して死ぬ事が最悪な事なんかじゃなくて、今をただただ生きている事が最悪な事なのかもしれないと。
生きる事が正解だとは限らないのか・・・。
どんな人にも生きていて欲しいと思っている私は時に無責任で不親切でもある。
死にたくなるような日があったはずなのに、少し嬉しい事があった日が訪れれば死にたい記憶は忘れ去られていく。そうやって日々は巡っていくと思っていたけど、嬉しい事があった日はいつになっても巡ってこなくて、死にたくなるような日ばかりが巡っていたら生きる事が正解ではなくなるのだろうか。
誰かの呪いは計り知れないし、解くことも、壊すことも出来ない。
家にいる孤独と、パチンコの快楽。
パチンコで生計を立てているのかもしれないし、誰かの孤独を埋めるほどの力もないし・・・
これに続く言葉を探していたら
イヤホンから「余計なお世話だよバカ」って言われた。