〈不幸の取分け皿〉翼

 あまりに頭が痛くて気が立っていた。このままでは、隣でテレビを見ながら阿呆みたいに笑い転げている同居人の未来に八つ当たりしそうで、痛み止めを飲むことにした。

 隠れるつもりでリビングからキッチンに移動して薬を飲んでいたのに、食い意地の張った未来がやって来て薬を見られた。

「頭痛いの?」

「……まあ」

「もう寝ちゃったら? 洗い物は僕がやっておくよ」

 こうして俺はキッチンでの居場所を失った。寝る支度をするためキッチンを出たところで、冷蔵庫を開けた未来から「あっ」っという声が漏れた。

 つい立ち止まって様子を見た。眉尻を下げた未来と目が合う。

「見て……」

 見せられたのはカップのチョコアイスだった。しかしそれは冷蔵スペースから出てきた。

「他にカップのヨーグルト二個買ってて、一緒にして入れちゃってた……」

 形状が似ているので間違えて一緒にしたということだろう。試しにカップの横を持って持ち上げた。硬さはもうない。

「終わったな」

「もっかい凍らせたら大丈夫かな?」

「アイスだから風味が変わる。美味くないと思うぞ」

「ええぇ……」

 悲しそうに未来はアイスの蓋を開けた。クリームのような様相を見せるアイスを目の当たりにして、未来の表情が変わる。

「なんか、泡っぽくない?」

「泡」

「ホイップとか生クリームみたいな。ココアとかカフェオレに乗っけたら美味しいかも?」

 楽しそうだった。落ち込んでいる未来に少し同情したのが損したような気分になりはしたが、ずっと暗い顔されているよりかなりマシなのでよしとした。

「寝るわ」

「おやすみ!」

 未来がお湯を沸かし始めたのを見て俺は洗面所に向かう。歯を磨いている間に、スマホをリビングに置いてきたことに気がついた。

 スマホにはロックを掛けているし、未来は人のスマホを勝手に見る奴ではないが、それでもできるだけ手に持つなりポケットに入れるなり、肌身から離さぬようにしていた。これから寝るのだし回収しに戻らなければならない。ちなみによくその辺に置いておく未来は、しょっちゅう見失ったりしている。

 リビングに戻ると未来がカップ麺の蓋を開けているところだった。てっきりココアでも作るのだろうと思っていた俺は拍子抜けする。

「アイスはどうしたんだ」

「あのまま食べちゃった。カップ麺待ってる間に。あんま美味しくなかった」

 未来はせっせとカップ麺に息を吹きかけて、冷ましながら食べ始めた。ちなみにこいつは夕食もきっちり食っている。その上でデザートのアイスだった液体を食べ夜食のカップ麺を食べている。

 俺は未来に近づいてその腹を摘んだ。

「ちょっとお!? 急にやめてよ!!」

「将来が楽しみだな」

「やめてよぉ!! てかそういうこと女の子にやったら絶対ダメだからね!!」

「やるわけねえだろ馬鹿か」

 俺の人間関係の中で、気安く腹を摘めるのは未来くらいなものだ。

 スマホも回収したので自室に入った。どうせすぐには眠れないし本でも読もうかと、ぼんやり本棚を眺めてしばらく経ったときだった。

 小型犬の悲鳴みたいな鳴き声が、リビングから聞こえた。俺の部屋はリビングと隣接しているので音はよく聞こえる。ちなみにこの物件はペット不可だし犬だって飼ってない。犬みたいな同居人はいるが。

 戸を開ければすぐリビングだ。見てみれば、先程と変わらずリビングで椅子に座っている未来と目が合う。しかし手元にカップ麺のカップがない。

「翼、助けて」

 近づいてよく見てみると、カップ麺は床に転がっていた。中身をぶち撒けて。しかも上手いこと未来の手と足を汁で汚していた。ティッシュは座った位置からは微妙に遠くて身動きできずにいたらしい。

「火傷は」

「びっくりするほど熱くなかったです」

「ならいいわ」

 そこまでやるか? ってくらい冷ましてたしな。

 ため息を吐きながらタオルを取りに行き、未来の手足を拭いた。何やってるんだろうな、俺。くそ頭痛くて、読む本ですら眺める程度で済む内容のものを選んでいたのに、汚れすぎて周囲を汚さないように身動きできずにいる人間の手足を、跪いて拭いている。

「あのね……テレビつけようとして、リモコン取ろうとしたの。そのとき箸に手を引っ掛けちゃってカップ麺落ちて、それを思わずキャッチしようとして」

「被害拡大させたわけか」

「そうです」

 普通に落としたら足だけ汚して済みそうなのを、手まで汁まみれにしている謎が解ける。どうでもいい謎だな。

「風呂行け」

「はい」

 服は洗うにしても、麺の絡んだタオルと汁の染み込んだ未来のスリッパは捨てて買い換えることを決めた。麺と具とタオルとスリッパをゴミ袋にぶち込み、残った汁をきっちり拭き、仕上げに洗剤を使って拭くところで未来が戻ってきた。

「僕やるよ」

「いや、仕事増やされそうだから俺がやる」

 というか、せっかく風呂で洗ってきた手足をまた汚されるのが嫌だった。全部最終過程まで掃除してから床や家具に触って欲しい。未来のスリッパは死んだことだし。

 未来は俺が掃除するのをそばで見守っていた。

「その、僕のせいでごめんね」

「故意じゃないから無罪」

 掃除が終わるとハグされた。こいつはハグ魔だがこういうタイミングで来るのは珍しかった。

「寝るわ」

「ありがとうね」

 終始いたたまれない様子であったが、その日はそれで終わった。次の日、未来は礼のつもりか俺の煙草をカートンで買った代わりに、自分のスリッパを買い忘れていた。結局未来のスリッパは俺が買った。

 スリッパなんて、煙草のカートンを買う金額で支払おうとすれば樋口一葉の釣りが来る安物だった。そんなのを未来は大層気に入って喜んだので、今度は俺のほうがいたたまれなかった。

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