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Jアラートが鳴ってから~30分で考えたこと・起きたこと~

先に書いておくと、私は割と深く考え込んでしまうタイプ。だから、一つの物事に対して5~10の可能性を考えて、どれが最適解かを自分の中で決めて行動することが多い。

今日もそうだった。

今日は夫を取引先の土場まで送り、今日は一旦家に帰宅し、8時になってから娘を送ろうと予定していた。その後はWebライターの仕事と家事、ご飯支度をしようと考えていた。

そう予定を組んだのは、昨日、夫を土場に送りその足で保育園に行き、園の駐車場内で入園までの50分間、アイドリングしていたことに後ろめたさを感じていたからだ。

待っている間も「(エンジン音がうるさいと感じる人もいるだろうな)」「(あの車動かないけどどうしたんだろうとか思われてるかな)」「(なにかあったのかなって思われてるかな)」「(保育園に用がある人なの?って思われてるかな)」などなどさまざまな感情が押し寄せた。

とはいえ、娘が保育園で待機すると言うから待っていただけのことで、いつでも『家で待つ』と言えば帰る予定だった。でも娘は、助手席で見るテレビ番組に夢中になっていてそれどころではなかった。

そんなことがあったので、今日は夫を送ったら1回帰宅して、少し娘のお腹に何か入れてから園に送ろう、と考えていた。

夫を送り、すぐそばの保育園を過ぎると娘が『ほいくえんは?』と聞く。予想していた問いだったので、用意していた答えを口から発した。「保育園バッグを家に置いてきてるから、1回家に帰ろう」。

帰宅から30分後。7時55分になり、娘の服を再度着せて準備していると、スマホからあの音が鳴った。Jアラートだ。7時56分くらいだった。

テレビではミサイルが落下する可能性があると報道していたが、Jアラートとはまたかなり緊急性が高いのだなと判断。すると直後に夫から電話が入り、『眼鏡を持ってきてくれ』。
この時点で私の頭は「園」「ミサイル」「眼鏡を届ける」の3つがグルグルと回り始めた。

娘を着替えさせて通園バッグを持ち、車に乗り込む。Jアラートが鳴ってから4分後のこと。夫がいる取引先の土場に向かうと、ゆっくりと走り始めた一台のトラックがいた。夫だと判断した私は、車を降りてこちらに歩いてきた夫に眼鏡を渡し、保育園へと向かう。

Jアラートが鳴ってから12分が経過。保育園の駐車場に着き、スマホでミサイルの行方を辿る。まだ落ちていない模様。少し考えたくて待機していると夫から入電。次は『車の中にある工具を以前お世話になっていた会社の人へ渡して欲しい。そろそろ家に着くから』とのこと。

おい、なぜこんな短いスパンでいろいろ重なるんだ。忙しすぎだろ。と考えていると、『ほいくえんにいかないの?』と娘。
「今Aさんが車に積んである工具を取りに家に来るから、一旦家に帰らなきゃならないわ」
とりあえず家に向かう。

Jアラートが鳴ってから15分。いつ落ちるかもわからないミサイルに怯えていると、今度は車のナビに「ミサイル落下情報あり」と何度も通知されるようになった。「(え?ナビに通知?こんなの見たことないけど?なにこれ?めちゃめちゃ不安になるじゃん?てかミサイルでもナビに通知されるんだ?知らんかった。てかこわ。なにこっちに落ちてくんの?落ちちゃう感じ????)」と思っている間に自宅に到着。

そもそも北海道とはとてつもなく広い。旭川から札幌へ行くとすれば、高速でも2時間少し。下を走れば3時間ほどかかる距離だ。

旭川から帯広に向かうとすれば、下で走っても4時間半から5時間かかる。稚内に向かうなら、下を通れば8時間近くかかる。それくらい、いちいち遠い=広い=でかいのだ。

北海道の規模を考えてくれよ国!!!てか迎撃とかできないの??と考えてイライラしていると、ちょっと疲れた。そしてこの答えにたどり着く。

「(そうだ、保育園休もう)」

その直後に車内のテレビから『北海道沖に落ちるとされていたミサイルだったが、その可能性はなくなったので情報を訂正する』といった旨が報告された。

Aさん親子が4トントラックで家の前にとまる。Jアラートが鳴ってから24分ほどが経過していた。二人の顔を見てちょっと安心したところで保育園を休ませたことをちょっと話してみた。Aさん親子は『うんうん。地下鉄も止まってるみたいだし、高速も止まってるって言ってたよ』。

ミサイルが落ちる可能性はなくなったとは言えど、連撃する可能性もあるし、など複雑な思いを抱えながら彼らを見送り、家に入る。Jアラートが鳴ってから27分後。夫に連絡し、保育園を休ませたことを報告する。夫は『うんうん、わかったよー』と言っていた。

Jアラートが鳴ってから28分。私はこの先のことを考えていた。

今回はミサイルによって保育園を休ませた。3歳でとても小さく、保育園も慣らしでたった2時間。なんなら私は在宅でずっと家に居て、別に無理してあずける理由はない。

これだけの理由なら、保育園にあずける方が私の中で誤った答えだったのかなとさえ思った。たった2時間の間に今生の別れが訪れるなら、一緒に散った方がいいと思ったからだ。今生の別れになったとき、私は、保育園にあずけたことを深く後悔するだろうと思ったから。

けれど、将来的にはどうだろう。

保育園などから自宅に向かう途中、スマホを持つことが許されない学生達がたくさん歩いて学校に向かっていた。自宅の場所が学校から離れていれば、ミサイルが発射され、それが北海道に向かっていて、Jアラートが鳴っていることすらも知らないまま歩いている子もいるだろう。

友達と話ながら歩く子どもたち、ひとりで黙々と歩く子ども、たくさんの子どもが歩く姿を見て、私の選んだ答えは合っているのだろうかと考えた。

ゆくゆくは学校に行くようになり、こんなことがまたいつかどこかで起きる可能性がある。そのときも私は、同じように決断して娘を休ませるだろうか。きっと休ませるだろうけれど、世間的にはそれで良いのだろうか。過保護だろうか。親馬鹿なのだろうか。

Jアラートが鳴ってから30分。結局答えは見つけられず、気付けば観葉植物に水をあげていた。