「私を幸せにできるのは私だけ」だとしたら?
「私を幸せにできるのは私だけ」という言葉があります。
それは、周りへの過度な期待や依存を取り除いて
自力で幸せを掴みに行くことを鼓舞するような
そんな良い言葉に聞こえます。
一方で、誰かへ期待することを諦めた寂しさも感じます。
ちなみに私は「私を幸せにできるのは私だけかもしれない」
と思いつつ、それを体現できた回数は本当に少しだけです。
ありがたいことに、私は自分の身の回りの人に
沢山優しくしてもらえて、親切にしてもらえて、
周りに幸せにしてもらうことが多いです。
そして、自分に優しくするのがとても苦手です。
周りから「人のことはいいから、自分を大事にしなさい」と
叱られることが(大人になってからも…)よくあります。
人のことは大切にできるのに、いつだって自分のことは
大切と思えなくて蔑ろにしてしまう。
どうしたら自分を大切にできるか考えた時に、
「自分で自分をもてなす」というのを思いつきました💡
発端は、仕事もプライベートも上手くいかなくて
明日なんて欲しくないと思った、
社会人1年目のとある夕方のこと。
仕事終わりにお店によって、お茶とお菓子を見繕って
それをラッピングしてもらいました。
私が、私へ贈る労いのプレゼントでした。
茶番じみていますが、ラッピングされたお茶やお菓子を
ワクワクしながら取り出して、私だけのお茶会をしました。
そこで、自分の悩みごとを整理して、ひと息ついて、
毒にならない優しい本を読んで、
心を癒す時間を作りました。
その甲斐あって、落ち込んだ心が回復して
翌日から仕事を頑張ることが出来ました💮
果たして、そういうことをしている仲間が、どれだけいるか分かりませんが……(少なくとも身の回りにはいませんが)、
私にとっては、とてもよい試みでした◎
それをきっかけに、不定期で「自分のためだけの休み」を
とるようにしています💐
仕事で心が疲れきっているとき。
プライベートが上手くいかないとき。
原因は分からないけれど辛いとき。
そんなときに制御ができないくらいに
泣くようになった頃合いに、1日だけ
休みを申請するようにしています😌
そして、休みの日までに
「やりたいことを、全て叶えるプラン」を練り続けて
しんどさを誤魔化して過ごします。
休みの当日は、なるべく「人のための時間」を削って
「自分に優しく」を徹底して楽しみます。
その、「自分のためだけの休み」をとったので
その時のことを書きとめておきます✍️
ぺしゃんこになった心を救う日
なにしろ、年が明けてからの私は、
残業続きで仕事の疲れを癒すことも出来ずに、
プライベートも少しずつ崩れはじめていました。
「誰かが悪い」と思いたくなくて
(悪者を決めて責め立てるのは違う気がして)
「仕方ない、そういうこともあるでしょう」と
無理に受け入れていたような気がします。
しんどいと思った時に話せる先が
3ヶ所くらいあったのですが、そのどこにも言えなくて
(遠慮もありつつ、実は喋る元気すらなかったのです)
不満も愚痴も飲み込む練習ばかり重ねていました。
仕事の帰り道に泣き出してしまうこともありましたし、
お風呂に浸かりながら泣いていることもありました。
ここまで泣くようになったなら(苦しんでいるのなら)
いよいよ私は、私を助けるべきじゃないだろうか?
一番きつい仕事が終わる週に、
縋るような思いで、一日だけ休みを申請しました。
心がぺしゃんこになるのは、初めてではありません。
ただ、これまでのぺしゃんこと違うのは
「自分を肯定できるなら立ち向かえそう」だということ。
逆に言えば、このまま自分を肯定できなければ
状況が好転しても気分は晴れない……ということ。
自分の傷を癒すためだけのプランは、
これまで沢山練ってきましたが
「自分を肯定するプラン」は初めてかもしれません。
美容デーにしようか。
もしくは優しい誰かに声をかけて、
ひたすら励ましてもらおうか。
色々と考えた末にたどりついたのは
「自分の好きを肯定していくこと」です。
いきなり自分を肯定するのは、どう手をつけたものか
分からないので……
好きなものにひたすら接して、
それを好きだと思う自分の感性を肯定して
この先に続いていくはずの、好きを追い求める未来を
楽しみにしたいと思ったのです。
好きな場所?
好きな本?
好きな音楽?
好きな洋服?
好きな食べ物?
好きな時間?
好きな生き物?
何から手をつけていいか分からないくらい沢山ありますが
なるべく沢山の好きで、一日を満たすプランを練りました。
そんな夢のような一日を記します✍️
美しいものに出会う@ルーブル美術館展
今回の休みの目玉は『ルーブル美術館展』です。
予告のチラシを目にした時から、これは絶対に行かなきゃと
心に誓っていました。
この日のために、スマホのロック画面を
ルーブル美術館展のチラシ(アモルの標的)にしていました。
仕事がしんどい時は必ず、ロック画面を見て
「頑張ったらこれを見に行くんだ」と励まされていました。
仕事帰りに本屋に立ち寄り、美術雑誌を買って
ルーブル美術館展の特集を読んではワクワクしていました。
本当に本当に、楽しみにしていました。
西洋画が好きなのはもちろんのこと、
「愛を描く」というテーマが素敵で、
尚のこと気になって仕方なかったのです。
平日、開館すぐにしては混み合う中、
最初に目に飛び込んだのが、
私がずっとロック画面にしていたアモルの標的でした。
そして私は、生まれて初めて、絵を見て泣きました。
心が辛い時に、自分を励まそうとして
ロック画面で見ていた絵だからかもしれません。
もしくはこの絵そのものの素晴らしさかもしれません。
警戒や疲労や摩耗で潤いをなくした心が
みるみる回復していくのがわかりました。
絵を見て泣くなんて初めてで、
周りの人に悟られないように涙をかわかしつつ、
いつまでもその絵のそばにいたい気持ちから
なかなかその場を動けずにいました。
角度を変えて、距離を変えて、じっくりと鑑賞して。
感動で胸をいっぱいにしながら、
いつまでもここにいてはいけないと思い直して
様々な作品を見て回りました。
……実は、このルーブル美術館展で、
2回絵を見て泣きました。
愛を描いた絵が集まるこの展示には、
人への温かな感情が表現されています。
作品の美しさはもちろんのこと、
人を愛する様を描く画家の眼差しの温かさにも触れて
すっかり心がほぐれました。
展示のされ方がそう思わせるのかもしれませんが、
この展示を見る間、私はずっと祝福を感じていました。
……文字にするとなんだか胡散臭くなって不本意ですが
それでも本当に、祝福に満ちている感覚がしたのです。
恋をすることを「春が来た」と表現することがありますが
この展示がまさに「春の訪れ」そのものでした。
あたたかくて軽くて華やかで色鮮やかで明るくて。
すっかり浮かれた気分でショップにたどり着いた私は
図録はもちろん、ポストカードを好きなだけ買い、
アモルの標的のブックマーク・コンパクトミラーまで
買いました。
また別のノートに感想を書こうかと思います。
本当に見てよかったです。
思い出のカフェでお昼を食べる
美術館を出て、思いのほか早くお腹がすきはじめたので
カフェに立ち寄ることにしました。
大学生の頃、サークル活動の大切なイベントの日に
お昼ご飯を食べた星乃珈琲。
星乃珈琲自体は、他の街にもありますが、
どうしても、あの時行ったお店が良かったので
そこにこだわって行ってきました。
通された席は、当時座った席とは違いますが
それでも懐かしくて感傷に浸っていました。
あの頃よりも、値段を気にせず好きなものを頼めて
大人になったなぁと感じます。
珈琲を覚えたてだったあの頃よりも
色んな味を知ってきたからこそ、頼んだ珈琲の美味しさを
より強く感じるようにもなっていました。
美味しく珈琲を飲みながら、次のプランのために
準備を進めます。
正直なところ、このあとのプランはほぼゼロでした。
何個か候補はあったものの、絞りきれずに
あとは自分の直感で選ぼうと割り切っていました。
プラネタリウムでとことん癒される
悩んだ果て、プラネタリウムを見ることにしました💫
実は、仕事で心が疲れきって、
プラネタリウムに通っていた時期があります。
見たいものをひと通り見てしまったのもあり、
しばらく遠ざかっていました。
今回見たのは、『ヒーリングプラネタリウム』という
ジャンルのものです。
星空とアロマと音楽で、とことん癒される内容でした。
仕事帰りに見るプラネタリウムはいつも
頭を空っぽにして過ごすものでした。
でも今日は違いました。
星から放たれてる光は今の光ではないことだとか
数々の星を結んで星座を作る昔の人の想像力の豊かさだとか
すっかり星を見れなくなった都会の灯りの強さだとか
色んなことを考えました。
そして、仮に星空が綺麗なところにいても
夜が苦手な私はすぐ寝てしまいそうなこと、
こうやってプラネタリウムで星が見れるのは助かること
そんなことも考えていました🤭
考えごとはずっとしていましたが、
それでも眠気に襲われるくらいに、心身ともに癒されて、
ホールを出る時の足取りがおぼつかなくなっていました😌
憧れの喫茶店で休憩
夢心地のまま地元まで戻り、まだ現実に戻りたくなくて、
喫茶店に立ち寄りました。
いつもは馴染みのカフェで済ませてしまいますが
今日は非現実に触れたかったので
初めての喫茶店に行きました。
いつも外から見るだけの、憧れで終わっていた喫茶店。
入ってみると内装も素敵で、優美な音楽が流れていて
私の知らない世界でした。
珈琲とガトーショコラを堪能して
少しだけ本を読んで帰宅。
夢みたいな1日の終わりです。
「私も私を幸せにできる」
自分の好きを突き詰めて、それに浸ることで
自分とその周りを取り巻くあらゆるものを
肯定できるくらい心を広くする。
そんな1日だったと思います。
自分を肯定できなければこの先やっていけないだろう……
その危機感からはじまった、自分のためのお休み。
自分を肯定するには、もっと寛容でなくてはいけない。
寛容になるには、自分に余裕がなくてはいけない。
余裕を生み出すために、心を満たす必要がある。
心を満たすなら、好きを摂取するのが手っ取り早い。
それで、徹底的に自分の「好き」ばかり選んできました。
「私を幸せにできるのは私だけ」よりは
「私も私を幸せにできる」が私の考えに近いと思います。
誰かと一緒にいることで満たされることもある。
それと同じように、私も私をもてなすことで
自分の心を満たすことが出来る。
ほんの少しだけ、自分の自信にも
繋がったような気がします。
自分を大切にするなんて、意識してみても、
ほとんどできない私ですが
時々こんなふうに、自分を最優先にして
自分を満たしてもいいのかなぁと思います。
本当に贅沢な一日でした。
また仕事を頑張れそうです☺️