梶井基次郎『檸檬』がとても好き🍋
不思議な夢を見ました☁️
制服姿の、見知らぬ男子学生が真剣な顔で
「梶井基次郎を感じたい、どうしたらいいだろう」と
私に相談していたのです。
そんなことを言われても……、と面食らいつつ
梶井基次郎といえば、と考えて
「何年か前に、京都の丸善に行ったことならあります。
檸檬のコーナーがあって、レモンが置いてあったり、
近くのカフェでレモンケーキを食べました」と
しどろもどろになりながら答えました。
「それで、梶井基次郎を感じましたか」と学生さんに聞かれ
「ほんの少しですが、でも、確かに」と頷いていました。
「それなら丸善に行ってみようかな」と納得して
学生さんは去っていきました🚪
何だったんでしょう、あの夢は😂
梶井基次郎を感じるって何なんでしょう🧐??
ということで、夢に触発されて
私が最も好きな小説『檸檬』について
好きなように綴りたいと思います。
とりとめもなくて長いのですが
私にとって梶井基次郎の『檸檬』こそ
「文学の魅力を思い出させてくれた物語」で
「読書の世界へ呼び戻してくれた一冊」なので
熱を込めて書きたいと思います。
●『檸檬』と出会った時のお話
高校生の時に、現代文の授業で出会いました📕
初読の感想文が宿題だったので
読んで感じたことを素直に
さらさらと原稿用紙に書き連ねて
指定枚数まで書いて出したのですが
「指定枚数がなかったら、その深い読みを、
もっと書けたのでしょうね。もっと読みたかったです」と
現代文の先生のコメントがついていました😳
本は好きでも、国語の授業には熱をもてなくて
さらっと済ませた宿題でしたが
「読書の感想がこんな褒められるなんて」と
感動したのを覚えています☺️
深い読みって何だろう……と、
今もまだ思うのですが🧐
少なくとも、あの時の私は間違いなく
“共感”ができていたのです。
時代も境遇も異なる『檸檬』の一文一文を
読んで、解釈して、自分の生活でも似た部分を感じて
“共感”しながら、感想を書いていたのでしょうఽ✍
本を読んでいて“感情移入”は沢山していましたが
おそらく、はじめて“共感”して読めたのが
『檸檬』だったのです🍋
そんな考察はさておいて、高校生の時の私は
感想文を褒められて、照れくさくなりながら
現代文の教科書を開いて、『檸檬』を読み返しました。
文体こそ、難しい語彙もあってほんの少し読みにくいですが
難しく見えるだけで、まだついていける単語たちでした。
そんな、読む難しさがあったとしても
読むのをやめようとは思えなかったのは
「煌びやかなものに惹かれる一方で
退廃的なものに惹かれる感覚」だったり
「昔好きだった物にもう心が動かない寂しさ」だったり
とにかく「あぁ、わかる」と思えるものが
たくさん散りばめられていたからでした📖
国語の課題で読む本はどれも
「そういう世界があるんだ」
「そんな考えもあるんだ」という発見が多くて
刺激的なように思えなくもないのですが
当時の私には「面白い」「読みたい」とは
思えないものでした。
それが初めて「面白い」と感じて
これまで(好きな系統の)本を読んでいても感じなかった
「この先も、この本と、この感覚を大切にしたい」という
気持ちが芽生えて、私の中ではっきりと
『檸檬』が大切な物語になりました🍋
●「好きな本は『檸檬』です」と答える暮らし
なにしろ本を読むのが好きで
『檸檬』との出会いを境に、
「面白い本」だけじゃなくて
「大切にしたいと思う本」を探すようになって
大人になっても、読書を続けています📚
待ち合わせの待ち時間や職場の休み時間は
本を読んでいることが多いですし
自己紹介でも読書が好きだと話すので
「好きな本は何?」と聞かれることも多いです。
『檸檬』と出会ったことをきっかけに
より多くの物語に触れてきたので
「これはすごい」と感動する本も
「読んで本当に良かった」としみじみする本も
たくさんあります。
そんな数々の本が頭をよぎってもなお
変わらず私は「好きな本は『檸檬』です」と
答えています🍋
(おすすめの本は?の質問は未だに答えにくくて苦手です。いずれその話も書きましょう)
個人的に、「好き」の感情は移りかわったり
跡形もなく消えてしまうかもしれない、
やや不安定なものだと思っています。
それでも『檸檬』は何年経っても、何度読み返しても、
「好き」が消えないのです。
この先も「好き」なのかはっきり分からなくても
それでもなんとなく、私はこの先も
『檸檬』が好きだと言い続けるような気がしています。
時々、私の話を聞いて『檸檬』を
読んでくれる人がいます☺️
そこまで長い話ではないですし
青空文庫でも読めるので
文体と語彙のハードルさえ気にしなければ
気楽に読んでみることもできるのです。
「凪雲さん、『檸檬』読んだよ」という報告からはじまる
色んな人たちの感想は、そりゃそうですよね、と
笑って頷くものばかりです😌
「波風のない話だったね」
「ちょっと難しかったかな」
「主人公やばい人じゃない?」
「特に何も心に引っかからなかった、さらっとしてた 」
などなど✍️
万人受けする物語ではないでしょうし
(そもそも万人受けする物語とは何でしょうね)
読者を振り回す怒涛の展開は無いに等しいでしょうし
自分の「好き」が相手の「好き」にはまる可能性は
そこまで高くないということもよく知っています💡
だから、肯定的な感想が来なくても特に気にしませんし
そもそも私の好きな本を知ろうと読んでくれる相手への
感謝の気持ちしか出てきません。
周りの評価の良し悪しと、自分の「好き」の持続は
(特に『檸檬』に関しては)
全く関係がないのを実感しています。
誰がなんと言うかではなくて
自分がどう感じるか、こそが
『檸檬』を「好き」と言い続けられるかどうかに
関わってくると思います。
この先、『檸檬』を読んでどう感じるかは分かりませんが
こんなにも心を許して、陶酔して、好きが続いて
大切にしてきた、それまでの日々を
肯定していたいなぁと思います。
●『檸檬』の好きなところ
ネタバレになり得るので、
この話題は最後に持ってきました。
冒頭に書いた、不思議な夢のおかげで
この記事を書きながら『檸檬』を読み直しました。
「やっぱり好きだ」という
昔と変わらない部分はもちろん、
「ここってこんな描写だったんだ」という
大人になったからこその発見があって
とてもいい時間でした👏
そんな、今回読んでの「好きなところ」を
書き綴ります。
細々と語るとキリがないので大枠で書いていきます。
・とにかく「押しつけがましくない」
主人公の静けさのある語り口がひたすら好きです。
自分の心の機微に、敏感に反応して丁寧に描いていて
(感覚的な表現になりますが)
その語りがとても内向きなのです。
「こういう感情になる」「こういうことがある」という
自分の話を、自分のために書いているような感じがあって
それを読んだ読者が「そういうの私もある」と
ひっそり共感するような雰囲気があるのです。
『檸檬』に限らず、梶井基次郎の作品には
独特の「押しつけがましくない語り口」と
「思わず共感してしまう細やかな感情の描写」があって
そこがとても好きなのです。
(特に、憂鬱の描写が上手いなぁと思っています)
・美を見出す視線
全体的に「美への意識」が感じられる物語だと思っていて
その美しさを描く視線がいいなと思っています💭
煌びやかなものに心を奪われていた時の描写はもちろん
一見綺麗とはいえない少し見窄らしいものに
心を惹かれる自分を、真っ直ぐ見つめて描いていて
そちらもつい共感してしまいます。
「魅力を言語化できないまま、惹かれてしまう」というのは
梶井基次郎の作品でしばしば出てくる感情だと思っていて
なんだかその「惹かれる感覚」がリアルだなぁと感じます。
そして、主人公が惹かれた檸檬の描写。
これがもう、檸檬の美しさを余すところなく書いていて
特に好きです。主人公が檸檬と出会ったところからの描写が大好きなのです。
この、檸檬への真剣な眼差しを感じるくらいの
(あるいは魅了を感じ取れるくらいの)
丁寧な語りっぷりが良いのです。
普段檸檬はカット済みのものしか見ないですが、
この文章だけで、檸檬のあの形と色鮮やかさを
ありありと想像できます。
檸檬の重さから、ここまでの思いを膨らませるなんて、と
何回読んでもここの文章に胸をうたれてしまいます。
大袈裟なようですけれど、心を奪われている時、
本当にこれくらいの感情になっているように思うのです。
「えたいの知れない不吉な塊」に心を悩ませていた、
あの気だるい様子だった主人公に
「何がさて私は幸福だったのだ」と思わせることができた
たったひとつの檸檬……すごい……🫢
🍋おわりに
こんなに長々と書いている自分にびっくりしています。
もしも全部読んでくださった方がいたとしたら
本当にすごいです。
お付き合いいただき、ありがとうございます……🙇
『檸檬』に限定して書いていますが
梶井基次郎の作品そのものが好きです。
さっき色々と読み返していて
『Kの昇天』も好きだなぁと、しみじみしていました。
感情移入ではなくて、共感しながら読める、
唯一の存在だなぁと思っています。今のところ。
もちろん、他にも好きな本は山ほどありますが
一番に語りたいのはいつだって『檸檬』なので
noteで最初に語るのも『檸檬』です。
この熱量で他の本の話もするかは分からないのですが
好きな本の話はこれからもしていきたいところです☺️
それではまたお会いしましょう👋