Netflix『日本沈没2020』で学ぶ
Netflixで『日本沈没2020』を観ました。
率直に申し上げて、かなり酷評されているようです。
が、そこまで言うほどでもないと個人的には思います。
一つには「事前の期待が高過ぎた」っていうのもあるのかなと。
ま、正直な感想としては「私には合わなかった」というものですけども。
しかし同時に「私には合わなかったけど、こういう人にはきっと合っていたんだろうな。そしてそういう人を想定してこの表現だったんだろうな」とも思いました。
この話は後ですることにして、まずは良かったところから。
(以下、少々ネタバレもありますのでご注意ください)
やっぱり一番は、何と言っても「勉強になった」ことですね。
何がどう勉強になったのかと言いますとですね。
一言で言えば「その視点はなかったなぁー。気付かせて頂いてありがとうございます」てことですね。
それは「エストニアに学ばねばならない」ということです。
既に散々言われていたことですし「そこんとこ我が国は遅れているし、そりゃそうだよなー」と漠然とは思っていたのですが、日常的な手続き以外の面でも「文化や伝統などの残すべきものも、電子化して残すべきである」というところには全然気付いていませんでしたので。
(参考『エストニアの「電子政府」を可能にした3つの成功要因』Forbes JAPANの記事です)
エストニアはどこかの国(つーかロシア)によって、物理的に破壊されて領土を失った時のことを想定して、いろいろデータ化したわけですけれども。
何ぜ我が国はとにかく災害が多いですから。
島国で陸続きではないという点では、他国から攻められる可能性としては低いですけれども。
(参考『自然災害の多い国 日本』一般財団法人国土技術研究センターより)
というわけで、早いとこいろいろ電子化して、残しておくべきものは残しておかなければならないわけですよ。
その点に気付かせてくれたということは、我が国にとってありがたいことではないでしょうか?
(描写が左翼的だという理由で叩いている人もおられましたけど、その一方でこういう大事なことに気付かせてくれてもいるじゃないかと、私は個人的に思うわけですけれども)
このことに気付かせて頂いたことは、本当にありがたいことだと思いますし、視聴して良かったと思います。
しかし純粋に私の好みと致しましては、正直「合わない」と言わざるを得ませんでした。
その「私の好み」とは、どんなものなのか?
一言で言えば「枝葉末節よりも森」「ミクロよりマクロ」「足下を見て地味にコツコツよりも未来や全体像を追いたい」という、そういう考えを持っています。
(それ故にケンカになった時にしばしば、夫に「お前は地に足が付いていない!」と言われて落ち込むことが多々あります)
この作品は徹底的な当事者目線であり、全体的にはどういう状況なのかという描写がほぼありません。
主人公や登場人物の視聴するニュースやネットの情報がすべてです。
ここら辺は原作の「日本沈没」を元に「作品上では今、日本はこういう状態になっている」ということを、視聴者にきちんと伝えて欲しかったなと。
それとあと、バラバラになった家族や登場人物が再開するところなどの、不自然でリアリティに欠けるところがあると感じました。
あんな小さい小舟が大海で偶然出会いました、というのは無理があるやろと。
例えば船同士に実は発信機みたいなんが付いていましたとか。
あるいは遠くまで流されたような気がしたけど、実は狭い湾とか入江とかで同じところをぐるぐる回っていましたとか。
そういう話にして欲しかったですね。
(ちと辛口ですが、リアリティに欠けるというところは同意⇒参考『【ネタバレ】『日本沈没2020』これでは日本”珍”没だ!失笑残酷脱力災害アニメを切る 』映画boardより)
さて、私には合わなかったこの視点ですが。
徹底的な当事者目線で、あえて情報が足りない描写にしたのは何故か?
それは「わからない」不安な気持ちを追加することで、より「登場人物に共感し、同じ恐怖心を持って視聴して欲しい」という意図であったのではないかと思うのです。
このことでより楽しめた人も、中にはおられたのではないかと思います。
しかしそれなら、日本沈没という原作のある作品を使うのではなく、別のものを一から作った方が良かったと思うんですよね。
やっぱ観る方はどうしても、期待してしまいますから。
もし期待外れだった場合、ガッカリ感がより強くなってしまいますから。
(私の場合、この作品には「ものすごいリアリティがあって、もしもこんな災害に自分が巻き込まれたらどうしようと感じて、それによって恐怖感がより増幅されるだろう」というのを期待していたのでした)
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