フランス万歳
私の胸をときめかせる国、それは「フランス」。
私は中学・高校とカトリック系の学校に通っており、創立者がフランス人の修道女だったためか、中学の必修科目にフランス語があった。英語も習いたてでワケがわからないところに、なぜ英語と同じラテン語を大もととする、単語も文法も似た言語を学習させるのか理解しかねるところだったが、いざ学んでみるとさほど英語と混乱することもなくすんなり理解でき、自分の前世はフランス人ではないかと真剣に疑い始めた。さらに、思春期特有のものであろうか「フランス語を勉強している私、ステキ」という感情も沸いてきてさらにフランスの深みにはまっていった。たまたま深夜に放送していた映画『なまいきシャルロット』を観てなぜか“自分はシャルロット・ゲンズブールである“という妄想に苛まれ、ボーダー柄の服を好んで着用していた時期もあるほど、諸々こじらせていた。
高校1年生の夏休み、語学研修でアメリカのバーモント州のとある学校に通っていた。休日に、「絞り染めで布をカラフルにして楽しもう!」というような「tie-dye」という校内の催しがあり、そこで、少女マンガから飛び出してきたような茶髪ロン毛の超かっこいい男子に出会った。初めて彼を見たときの私の目は、間違いなく(♡o♡)目がハートになっていたと思う。女子校育ち・陰キャ・引っ込み思案・ブスという自身の四重苦に加え、いつ見ても彼のそばには黒人と白人の屈強な体格(骨格使徒サキエル)の女友達が護衛のように付いていたので到底声をかけることもできず、遠くから見ているだけだった。当時は寮に滞在していたが、異性交友発展家の同室女子ユキコ(私よりブスだが自分に自信があるタイプ)に相談すると「まずさぁ~、彼の情報から仕入ていこ~」ということになり、そこから意味なく彼のまわりをうろつくところから始めたが、堅すぎる黒人・白人のディフェンスをはがすことができず、攻めあぐねていた。彼らからすれば、見知らぬ東洋人女子が急に周囲をうろつき始めたのだから、相当気持ちが悪かったであろう。
そんなある日、友人とのコンビネーション・カウンターアタックで、手薄になっていたディフェンスの隙をついて敵陣に侵入し、彼に声をかけて写真を撮らせてもらうチャンスを得た。ゴラッソ!だが、そこでディフェンスが戻ってきてしまい、彼、私、黒人、白人の4ショットになってしまった(※探したがこの時の写真は見つけられず)。
彼の名前は「ギヨーム(Guillaume)」といった。「変な名前!」と思ったが、英語でいうところの「William」とのこと。彼はフランス人で、ブルゴーニュ地方から来ていた。そしてとてもいい香りがした。あとは何を話したかなど一切記憶が無い。
このnoteを書くために何か思い出の品がないかと引き出しをゴソゴソしていたら、なぜかギヨームと私の友人らが写っている写真が出てきて、写真とともにギヨームがノートの切れ端に書いてくれた名前と住所のメモがあった。私が直接頼んで書いてもらったのか、友人の誰かが代わりに書いてもらってくれたのかは謎である。
後日、遊びに行ったケベックで、ギヨームの面影を追い求めて「William」と書かれたキーホルダーを買った(きっしょ!)。また、ギヨームと同じ香りの香水を探し求め、街を練り歩いた。全く同じ香りのものは手に入らなかったが、似たような香りのボディスプレーを手に入れた(キモいって!)。その時初めて知ったが、それはムスクの香りだった。
日本に帰国してからもしばらくはギヨームのことが忘れられず(当時の私へ。勉強しろよ。私より)、『地球の歩き方 フランス版』を買ってブルゴーニュのページを穴が開くほど読んだり、教育テレビのフランス語講座を見てはフランスに思いを馳せたり、『めざましテレビ』で毎日やっている河野景子特派員のフランスからの生中継コーナーを見ては「ああ、今フランスはこんなに暗いのか、夜だもんな。ギヨームは寝てるかな。何してるかな」等とムスクのボディスプレーの香りをかぎながら気色の悪いことを考えていた。
帰国から2年ほど経ってもまだギヨームのことが忘れられずにいたところ(当時の私へ。お前受験生だろ、勉強しろよ。私より)、ジョディ・フォスターが出演していたカフェラテ(?)のCMに使われていたクレモンティーヌの『ジェレミー』という曲がぶっ刺さってしまい、CDを買ってくり返し聴き、曲の「ジェレミー」の部分を「ギヨーム」に置き換えて心の中で歌ったり、歌詞カードを紙に書き写して歌詞をかみしめたりしていた(気味が悪すぎる)。ちなみに歌詞の内容はというと、ざっくり言うと「ジェレミーが好き」という感じである。
当時はインターネットなど無かったため、フランスについての情報を気軽に入手することができなかった。ギヨームとのつながりがほしい。でもギヨームに手紙を出す勇気はない…ならせめてフランスとのつながりがほしい。そう思った私はペンパルに申し込み、フランスに住んでいる同世代の女の子と文通をすることになった。
何度か英語とフランス語の混じった手紙でやりとりしたのち、お互いの写真を送り合うことになった。名前がフランス風だったので、相手の女の子のことを勝手にキャンディ♡キャンディのようなビジュアルだと想像していたのだが、送られてきた写真を見ると、「え?毎日フォーとか食べてる感じ?」というような冴えない女の子だった。「ベトナムから来ました」え???その女の子にもベトナムにも何の罪もないが、自分の予想を裏切られた気がして、そこから返事を出せなくなり、それきりになってしまった。だから今、この場で言わせてください。「なんかごめんね!」そしてその頃には、なんやかんやでギヨームのこともどうでもよくなっていた。だけど、今でもフランスのことを見聞きすると、人生のうちでほんの数分しか一緒の時間を過ごしたことのないギヨームのことを思い出して胸がきゅっとなる(心筋梗塞の疑い)。フランス万歳!
追伸:ギヨームへ。もしこれを読んだらコメントください。
Cher Guillaume. Si vous lisez ceci, merci de commenter.
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