母が怖いのは愛の裏返し
人前で話すことが恐怖だった。
小三の頃、朝のホームルームで
3分間スピーチが当番で回ってきた。
前日から緊張して眠れない。
学校がいっそ火事になって
なくなってしまえと思ったことさえある。
どうせなら今夜限りで死んでしまいたいと
切実に思ったものだ。
もし 今の私があの頃の私にアドバイスするなら
ネタがないのなら困るのは当たり前。
朝 新聞読んでそこから気になる記事を抜粋すればよい。
兎に角 ゆっくり話せばよい。
そのうち3分終わるからと。
今じゃこんなに社交的な性格なのに
子供のころは本当に内向的で
幼稚園も学校も行くのが嫌だった。
家で好きなことしていたかった。
なぜ あんなに内向的だったのだろうか?
我が家には祖父母もおり、
私は非常に可愛がられて育った。
母は鬼のように厳しかったけど
祖母にさんざんあまやかされて育った。
小二のとき、社会の評価が2になったことがあり
祖母が小学校の校長先生に
なぜうちの孫が 社会が2なの!?と
直談判しにいったことがある。
今思い出すと 非常に恥ずかしいが
それほど可愛がられていた 笑
小学校という社会の中で
自立していなかったから
小学校が嫌だったんだろう。
小4のときも 学校に行きたくなくて
学校でいじめられているから行かないと
母にいったら
兎に角 学校に行ってと鬼のように怒るので
しぶしぶと行ったところ
その日の放課後に母が学校にやってきて
教室にいる私に近寄り
誰があんたをいじめているの?
と鬼のような形相で尋ねるので
仕方なく そばにいた
M君と指さした。
そばにいたM君はたまったものではない。
確かに時々いじられるはするものの
イジメという陰湿なものではなかったからだ。
しかし、母にしてみれば
こいつのせいで自分の娘が困っていると思ったのだろう。
ちょっと M君
うちの娘 いじめないでくれる?
と きっとにらみながら言い放った。
すごっ。
私はそう素直に思った。
で 怒られたM君は
とりあえず ハイ とうつむいていた。
母が疾風のごとく去っていったあとで
私はM君に謝ったのはいうまでもない。
しかし、それまでM君は他愛のないことで
私をいじっていたが
母の剣幕に驚いて
いじるのもやめて 非常に優しい男子に変身してしまった。
この後 学校が嫌いになくなったのではあるが
うちの母が鬼のように厳しかったというのは
子育て中の母 あるある だと
自分が母親になって気づいた。
いつも 母は子供が大事なのだ。