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ゼロ秒思考で変わった

今朝は、音声SNSのclubhouse 『赤羽雄二さんの何でも相談カフェ』 で、お話させていただきました。


これまでの私をふりかえる

私は28歳で大動脈解離になり4回ほど手術を受けました。
大動脈解離になった時とあわせると、少なくとも5回は命が終わるかもしれないことを考える時を過ごしたことになります。

手術は、いつも、ここで命がおわるかもしれないという全身麻酔の大手術。
OPEが終わってからも日常生活に回復するまでの痛みを乗り越える日々。

この先、いつまで生きるかなんて誰にも分らないけれど、とにかく未来が不安で仕方ない私でした。

当時、在職していた会社では
自分の体でできる限りのことはやろう!と頑張って頑張った結果
社内で移動しても移動しても場長からのパワハラに遭遇していた私。

そんなパワハラ時代は
とにかく自分の不安を誰かに分かってもらいたくて
話さなければ気が済まない自分でした。

赤羽雄二さんに、出会ったのはclubhouse

コロナ禍で、おむすび屋さんを担当していた私は、営業も中止となり、できる仕事も制限がありました。
子どもも産んでないのに、子どものための食事なんてできるわけがないと当時の上司に陰口を言われ、子どもが産めないカラダの私にとっては、とても辛い思いをしました。
子どもがいない自分でも、できることは何かを考え、clubhouseでは、食育のことや、子育てに悩む母の気持ちが聴ける部屋で、多くの話を聴くことができました。そんな中で偶然出会ったのがメモ書き部屋でした。

赤羽さんの経歴を見ると東大卒の文字。
その赤羽さんからの、「頭の悪い人はいない」という言葉が衝撃的で、単純な私は勝手な希望を持つことができました。

そのころは、会社で『あの人は〇〇大学だから、賢い人だ』という言葉がでるたびに、自分のことをダメだと言われているような気がしてたまりませんでした。

本を読むのが苦手だった私は、youtubeで赤羽さんのゼロ秒思考を理解しました。
メモ書きをしているうちに、あれほど苦手だった本を読むこともすらすら読めるようになってきました。

仕込み、仕切り、仕上げができていなかった?

赤羽さんは、毎日というほど部屋を開かれていて、その中にはパワハラの話が多くありました。
私も、勇気を振り絞って、自分が悪くないのにという思い満載で、パワハラの話を聴いてきいて!と、話し始めました。

clubhouseで、司会進行をするモデレーターのミツコさんから、
仕込み、仕切り、仕上げが足りないのでは?と、話されたときは、ショックでした。
え?まさか私なの?という気持ちでした。

そこから、人を動かす話し方の本を読み
何度か相談もしながら、自分で気づいたのは、
『なんで』『なんで私だけダメなの』という言葉を多くつかっていた自分でした。

口癖を変えてみるだけで

「なんで」をやめてみると、今までの自分から徐々に変わってきました。
向いている思いは、相手ではなく自分にかわり
自分がどうしていきたいかを考えるようになりました。

自分が変わると、同じことも違った視点で見ることができてきました。
赤羽さんの本も、人の言葉も
今までは考えられなかったことが考えられるようになり、視野が広がってきました。

もう少し書きたいことがあるのですが、長くなりすぎてきたので
また次に書いていきたいと思います。


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