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12年前のこと

今の仕事に就いたのは2011年4月。
あれから、あと3ヶ月で12年を迎えるところでした。

あの時は、
そもそも未来を描くことを考えていたかどうか、わかりません。

病気により
仕事をすることさえ無理だと思っていたあの頃、
仲間から、このまま社会に出ないのはダメだと
何もしなくて良いから出ておいでと、働く機会をいただきました。
とてもありがたいお誘いでした。
それから3~4年がたち、体調が落ち着き
経営する会社も仲間の会社から変更。
仕事に行き、何もしない時間は、私にとっては楽しいものではなくなり、新しい道へと進みたくてうずうずしていました。


面白い会社がやってくる!
地元で始まる事業に、都会から大きな会社がやってくるんだけど、面白そうだよ!と、話だけは聞いていました。

その事業が開始されるにあたり、たまたま一人の欠員がでました。
急きょ、「誰かいないかと相談を受けているけれど、この会社、受けてみる?」と、つないでいただき、会社の面接を受けることにしました。

しかし、病気である自分を、この会社という社会が受け入れ入れてくれるのだろうかと思いながら面接を受けました。

面接での対応に、心配はやや残るものの、来てくださいということになりました。

新しい業務をスタートし、数日後に本社の上司が現場にやってきて「どんなことができますか?」と私に聞かれました。
面接での対応の心配から、
その前に「大動脈解離という病気があるため、私は働く制限があることは伝わっていますか?」
この私の言葉に、上司が瞬時にいろいろなことを考え始めた顔に変わったことを、今でも鮮明に思い出します。


昨日、私は11年9ヶ月お世話になった会社を退職する決断をしました。
入社当時の上司であり、一番お世話になった現社長に「会社を辞めます」と伝えました。

28歳で大動脈解離を起こし
何度も手術を受け
私の体の中の大血管のほどんどは人工血管です。
そして心臓の大動脈弁も人工弁になりました。
人工物が体内にある私のカラダが生き続けるために、薬を飲み続けなければなりません。
薬の影響で私の体は、さらにリスクの高いカラダとなりました。

「マルファン症候群」という先天性の病気だとわかったのは、28歳で大動脈解離を起こしたあとで、この先も何か病状が出てくる可能性があることもわかりました。
数年後の自分はどうしていたいか
生きているかどうかもわからないのに、
そんなことは考えられず
今を生きる。としか思えなかったのかもしれないけれど・・・


12年間弱を、この会社で働かせていただき
一番は社長である上司に面倒をみてもらい、お世話になれたことで
社会の中で、病気を抱えながらも生きていけるという自信がついていました。

社長への感謝は永遠です。


私は、
大病を抱えながらも、新たな社会で生きていくことを決心しました。
目に見えない病気であることの不便もですが、
自分の育ってきた環境からの生きづらさがあることを知りました。

赤羽雄二さんの著書ゼロ秒思考を読み、少しづつ成長できています。
そして、赤羽さんや、メモ書き仲間からも様々なことを学んでいます。
生きづらさは、勉強しているうちに、長女気質に加えて、愛着障害、毒親なども関係していそうです。
自分の人生を考え始めて、7つの習慣も、意味が通じてきました。


数年前、
コンビニで手にとった漫画版7つの習慣。
オマエこれでも読んどけと,言ったことを社長は覚えていないかもしれないけれど,ずっと持っていて良かった。

これからも、色んな壁に当たると思いますが、
生きづらさを克服し、新たな道を進んでいく自分を楽しみにしたいと思います。

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