運命に抗う
運命の人は二人いる。
一人目は人を愛し、そして愛を失うことを教えてくれる人。二人目は永遠の愛を教えてくれる人。
みたいな
そんな言葉がよく目に入ってくるようになった。
今まさに恋愛奮闘中だからだろうか。
今の彼はどちらなんだろうって、考えなくても自分の中で答えはあるのだけれど。
運命なんて信じていない。
SNSで見る運命の人の特徴だとか、どんな時期に出会ってたとが運命の人だとか、運命の人とは一度別れるだとか。
そんなもの、その恋愛がうまくいったとかいかないとかで簡単に”運命の人”だって言えてしまう気がする。どんな恋愛でもその人にとって心に重く残るものだったのなら、未練や美しい思い出とともに”一人目の運命の人”だと易々と言えてしまうような気がする。これは私が捻くれているからなのかもしれないけれど。
だけど最近、今の恋人が運命の人だったらいいなと思うことが増えた。
出会い方も仲良くなった経緯も付き合った経緯だって大学生にとってはありきたりなどこにでもありそうな始まり方で、運命と呼ぶにはロマンティックの欠片もない私たちだけど。
もしそうなら、彼を一人目の運命の人だとは思いたくない。
でも、確実に1人目の運命の人は今の恋人だ。私はかつてこんなにも恋人と長続きをしたことも、こんなにも感情を揺さぶられることも、こんなにも相手のことが好きなこともなかった。初恋ではないけれど、初恋みたいな、どうしたらいいかわからないことも多い今の恋愛は確実に一人目に該当するのではないかと思う。
運命の人の一人目が、そのまま二人目になってくれることはないのだろうか。
ずっとずっと覚悟はしているはずなのに、別れる未来を覚悟する度に苦しくなってしまう。
別れたくない。ずっと一緒にいて、隣で笑っていてほしい。彼のいない未来なんて想像したくない。
彼と出会ってから知ったこと、行った場所、思い出、音楽、何でもない日常の一つの動作さえ全部彼を思い出す。
見える全部、聞こえる全部色付けたのは彼なのに。
彼と別れて新しい恋なんてできる気がしない。何をしたって彼のことを思い出すに決まっているし、今住んでいるこの場所も、一緒に行った場所も、ちょっとした会話の内容も、彼の好きなものを買っていく癖も、ふとした時に思い出して悲しくなってしまう。触れる理由も、会う理由もなくなってしまう。
運命の人がどうの、だなんて知らなければよかった。
ただでさえタイムリミットに備えて、別れを切り出されても笑って終わりにできるように心の準備を毎日しているのに。
それでも増えていく思い出に未練も残ってしまうし、後ろ髪を引かれてしまう。
まだ別れてもいないし、倦怠期でもなく普通に仲良く過ごせているのにこんなことばかり考えてしまう私はとてもとても重くて面倒な彼女なんだと思う。今を楽しめばいい、なんて分かっているけれど。
失った時の痛みを、準備もせず受け止められるほど私の心は強くはない。だから少しずつ想像で心を痛めては痛みに慣れようとしている。
一種の自傷行為だよと、友達には悲しい顔をさせてしまった。
自分に自信がないから、ずっと私の隣にいてもらえる自信がない。
何も頑張っていないのだから努力不足なのだけれど。
苦手な家事も頑張ってみようと思う。おいしい料理が作れるようになって、掃除も洗濯も日課になるようにして、まずはこの怠惰な性格をなおさないことには彼の隣にはいられないと思っている。そんなことを強要されたわけじゃなく自主的に思っているだけなので、彼はそんなことできなくたって隣にいていいと言ってくれるけれど。それでも彼の隣に立つには普通のことが普通にできる子でいたいという自分のわがままだ。
外見だって気を抜けないので頑張りたい。可愛い可愛いと言ってくれていても、自分で自信を持てるようにならなくては意味がない。
本当に何もかもを頑張らないと、と思ってもできないのでまたそれに落ち込むのが完璧主義の私。この性格本当に嫌になる。
まだわからない未来に怯えていても仕方がない。
彼のポジティブさに倣って、きっとなんとかなると思いながら一つずつ自信を積み重ねて、一日一日を大切に過ごしながら、運命に抗えたらと思う。