正義と微笑 太宰治
16歳の青年が夢を追いかけて、大人になっていく話。学校に対して嫌悪感を抱いたり、努力しようとしても上手くいかなかったり、まるで多くの人の身にも覚えがあるようなことが、彼の日記の中には綴られています。日記の中で印象的なのが兄の存在です。兄の、愛で溢れた弟への接し方が、青年の運命を大きく変えたように見受けられます。兄は、青年の、俳優になりたいという夢を決して否定せず、道標を立てました。自分を肯定してくれる存在が身近にいることは、大きいと再認識しました。
自分は、学校に通う他の生徒とは違う、と、一見ひねくれた考えの持ち主のような青年ですが、節々に子どもらしい記述が見られます。姉とその旦那の仲を取り持ち、自分はいいことをしたと、誇らしい気持ちでいっぱいになったり、俳優になって正式に芸名がつけられた際に、ヘンテコな名前だと思いながらも鼻が伸びたり。自分と、自分の大切な人の節々の幸福に嬉々とできる、本当は素直な子であるのが、どうも愛おしいです。
学校の勉強に励もうとしても、役者の試験のために対策を重ねようとしても、なかなか手につかず、ただ日常を徐行していた青年は、最終的には、「まじめに努力していくだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らない事は、知らないと言おう。できないことは、できないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦なところらしい。磐の上に、小さい家を築こう」と考えるようになります。春秋座の役者の試験のために努力の過程を経て、大人への階段を登っていたのだと思います。そして、実際の舞台を重ね、責任や使命を学びます。初舞台では、終演後、楽屋に来てくれた兄の姿を見て、うれしい気持ちになり、武者振りつきたかったのに対し、東名阪と舞台を終えて、兄が東京駅に迎えに来てくれた際には、兄はおだやかに笑って迎えてくれ、青年ははっきりと自覚しました。自分が生活人として自立し、いわゆる大人になったということを。
一青年が大人になっていく過程が、なんともリアルに描かれた作品でした。彼が夢を叶える姿を応援する気持ちと、だんだんと自立していき、子どもらしさが少し薄れていく寂しさ。私の両親も、このような気持ちになったことがあったのでしょうか。