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かわる

2020年10月17日 
KOTORI 「東京」
日比谷野外音楽堂

KOTORIの生音を聴いていると、高校へ行く駅からの道を思い出す。そこにある金木犀の匂いも一緒に。

だけども、この日思い出すことはなかった。コトリと居る今をずっと想っていた。変わっていく寂しさだったり、変わらない口下手を愛おしく思ったり、全部まとめて今この瞬間を見つめていた。初めてコトリを観た日に居たさよならポエジーは歩みを止めた。田代くんは脱退したけど、ちひろさんという心強いドラマーがコトリに加わった。そして横ティンは変わらずバンドを一生続ける!と話し、コトリの音楽は相もかわらず目の前で鳴っていた。

東京にやってきました、からはじまったラッキーストライク。ワンコーラス終わり間奏のありがとうという言葉に思わず涙がこぼれた。地下や路地裏、薄暗くて狭いライブハウスで聴き続けたトーキョーナイトダイブはこの日のために作られたのでは、とすら思うほど綺麗で儚かった。

「もういいやうたえー!」の言葉から加速したアンコール。私の大好きなKOTORIだった。本編のコトリの演奏は確かにうまくて綺麗で、かっこよかった。だけども私は泥臭くて、ギラギラしている4人にどうしてもかっこいいと思ってしまう。あんなに純粋に飛び跳ねて、叫んで、歌って、拳をあげたのはいつぶりだろう。

私は成人式に出なかった。出る予定だったけど出なかった。式の前日に逃げるようにして新幹線に飛び乗り、コトリがいるライブハウスへ行って夜行バスで朝地元に帰った。両親の仲は悪く、今思えば父親のそれはパワハラやDVと似た類だったと思う。妹は不登校で、母は当たり前に疲れていたけど、ずっと優しかった。でも私はそんな家族がだいきらいだった。横ティンの「もう帰ろう!手洗いうがい!親を大切に!」この言葉でそんな事を思い出した。母親の悲しそうな顔を思い出して、初めて謝りたくなった。成人式に出なかった事やライブハウスへ行った事を後悔していると思ったことは少しもない。悲しませてしまった事を後悔している。あの時逃げるという選択を出来たことで、今生きていると思えている事も事実。だからきっとコトリは、コトリの音楽は私の中で一生なり続けると思う。

変わっていくKOTORIを変わらずに好きだと思える私。変わらずに音楽を続けているKOTORIと音楽に関わる仕事を辞めてしまった私。

KOTORIの音楽も私の人生もきっともう少しだけ続く。帰る場所がライブハウスであること、そこにKOTORIが居ること。それだけがきっと私の願いだと思う。

いろんなバンドの夢や挑戦をこの目で見てきた。間違いなくこの日もそんな日だった。ずっと忘れない事は難しいと思う。だってこれからも更新し続けてしまうから!それでも振り返った時に良い日だったな〜と思たらそれでいい。こういう日があるから私は音楽やバンドをずっと好きでいられる。

いつのまにか私の誇りでした。
ありがとう、はこっちのセリフ。
メトロに乗って、日比谷野外音楽。
こんな所まで連れてきてくれてありがとう。


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