覚悟を決めろ(Chapter1-Section5)
2015年、「生活困窮者自立支援法」ができました。住居を失うなどした緊急時に、衣食住の提供が行われる制度です。ボクが路上生活を経験した24年も後になってできた。あの時にこの制度があったらどんなに良かったか。
ボクの場合、礼金敷金を貯めて部屋を借りるのに、1年半を要しました。
当初、バイトを掛け持ちして16時間ほど働く予定でいましたが、冬になったのがいけなかった。冬場というのは思う以上に体力を奪うもので、コッペパンばかり食べていたのも悪かった。路上生活を始めた2ヶ月後に牛丼を食べ、お米と肉の美味しさに感涙し、一月に1度は食べるようにした。体が資本とはよく言ったものです。
寒さで野宿を続けたら命を落とすような気がした。実際、報道されないだけで、死んでるそうです。
人間は寒さに弱く作られています。地形の悪さと寒さが助け合いの精神を育むようで、他者との信頼関係を構築し福祉が発達するそうです。
フィリピンに行った人はご存知でしょう。あそこは非常に経済格差が大きい国です。スラム街では廃棄された残飯を再調理した「パグパグ」が売られ、それを食べて生活する人がいます。ストリートチルドレンもいるし、一家で路上生活している人もいます。
明治期の東京には三大貧民窟があって、細民と呼ばれる日本人が「パグパグ」を食べて生活していた。フィリピンは、明治時代の日本と1960年代以降の日本が同時進行してるような国です。近年、フィリピン史上初の地下鉄が建造中で、フィリピン不動産が注目されつつあります。
フィリピンの福祉施策は、日本とは大きく異なります。1年中夏で冬がない。冬がないから死ぬことがない。だから社会問題にならない。社会問題にならないから、税金を福祉に分配する必要もない。
生活困窮者自立支援法は、ボクのような人が急増し、社会問題化したから出来ました。素直に喜べないのは、社会がそれだけの困窮者を生んでしまった事です。コロナ禍の緊急事態宣言下で、東京都にいる5400人ほどのネットカフェ難民が報道され、胸を痛めました。
ネットカフェを運営する、とある上場企業の2021年度の売上は約469億円。1泊2000円で5000人が利用すると1日1000万。30日で3億円を売り上げる。ちなみにボクはこの企業には投資しません。さっさと潰れてしまえ!と思っている。
1950年代~1960年代の半ばまで、日本には民間血液銀行があって、血を売って生活する人もいた。
当時、一般職の公務員の初任給が14000円。売血は400ccで1200円。諸問題を孕んで売血は禁止されましたが、高度経済成長期で売血せずとも生計が立てられるようになった。
なので、ネットカフェが減少すれば、景気が良くなったと判断できます。そもそも、ネカフェの生活なんて人間らしい生活とは言えません。そこに「人間の尊厳」があるとも思えません。ネカフェに落とされる469億円が不動産に回れば、景気回復も早い気がします。
着の身着のままだったので、身分を証明するものがなかった。誰かがボクの遺体を発見した時、せめて身元がわかるように紙とペンを用意し、遺書を残すことにしました。
初めての遺書です。遺書は、不思議な心理現象を生みます。離散した家族に連絡が届くよう、簡素に書くと味気なく感じ、この原因を作った張本人のうらみつらみを書くと見苦しく映り、書いては捨てを繰り返すも、なかなか納得いくものができません。
いざ遺書を書こうとすると、まだ絶望してないからか、自分の価値を見出そうとあきらめの悪い内面が出てきました。もし絶望していたら、命を絶っていたかもしれない。希望と絶望はまるで満潮引き潮のように交互にやってきて、ドン底にいたけどもがいていた。
人間の価値は、年収が多いと高くて少ないと低いのでしょうか?
自分の価値は、他人に決めてもらうのでしょうか?自分で決めるものでしょうか?
その昔、日本人は一等国民で琉球人は二等国民、台湾人は三等国民と呼ばれていた。明治時代に上級国民、下級国民があった。小泉内閣以降、勝ち組・負け組が流行ったが、誰かが勝手にラベリングして、彼らはそれで視聴率を稼ぎ、発行部数を増やす。ボクらは振り回されているに過ぎない。
人生は死ぬまで続きます。その物語の主人公は自分です。空腹と惨めさに苦しみ、自殺した方がよっぽど楽になれるんじゃないか。そんな考えも浮かびました。でも、遺書を書こうとした時、何の覚悟も持っていない自分を知りました。だから遺書も、納得するものが書けなかった。
覚悟しろ。覚悟しろ。覚悟しろ。自分に呪文をかけた。
いま、路上生活のドン底にいる。失うものはない怖くない。後はここから這い上がるだけじゃないか。覚悟を決めろ。今を納得して生きて、明日死んでもいいように覚悟を決めろ。覚悟を決めろ。