【 鬼退治‼️~続編~ 】
前に、鬼滅の刃の note の記事を書きましたし、神社の話も書きましたが、その続きと言うか続編です!
前の記事は→【修行ってわからなくて修行してた】をお読みください!この続きです、、、
しかも、この【修行ってわからなくて修行してた】の最後に、鬼も退治しちゃうかもね、、、って書いてました‼️
よっ!予言ww
そんなかんなで、繋がった~💕
前に、鬼滅の刃のように、修行させられたと書きましたが、私は別に鬼を退治に行ってたわけではなかったので、最後なにか腑に落ちなかったのですが、、、、
しっかり‼️鬼を退治に行きましたww😅😅おちがあった、、、
お友達に声を掛けてもらって、求菩提山に行ってきました!
求菩提山は修験の里なので、そこには物語がありました‼️
その求菩提山には、昔500世帯くらいもあった、大きな村でした!
修験の村で、そこに住む人々は、薬草を薬にして、薬を作りながら売りながら、修行しながら住んでいました
そのころ、玄沖さんと言う一人の優秀な修験者さんが居ました
玄沖さんの解説
詳細は下記参照
↓↓↓↓↓↓↓↓
「昔、求菩提山にいた玄冲という若い山伏が、高い志を立て都の本山へと登り、厳しい修行に挑みました。
努力が実り高い位階を授かって帰山を許されました。玄冲は意気揚々と帰途につきました。山で待ち構えていた先輩達は妬みから玄冲を罠に掛けます。彼らは夜道を急ぐ玄冲を落穴に落として、無数の礫を投げ入れ生き埋めにしました。
この時、遠ざかる意識の中で玄冲は「求菩提山の住坊が3軒になるまで
呪い続けてやるぞ」と、言い残し死んだと伝えられます。
この伝説を裏付ける資料は残されていませんが、江戸時代(1600〜1867年)にはここで玄冲の供養祭が行われていたといいます。
その後、一山五百坊と呼ばれる隆盛を誇った求菩提山も、昭和32年(1957年)当時には3軒にまで減少し、現在は無住の山となってしまいました。」
そして、この求菩提の村には、玄沖さんの呪いで一世帯も居なくなりました、、、
このご縁で、求菩提の山に呼ばれ、全国から集まった、人々と玄沖さんの供養に行ってきましたよ!
玄沖さんは鬼になり、求菩提の山に眠り呪っていたのでした、だから、私の感じる友達は「求菩提は、ちょっと、、、行けない」とか言って嫌煙してたのだなっと、、、
もう!呪いは晴れましたよ‼️
これからは、この求菩提の里に晴れ晴れとした、空気と清々しい気持ちで、求菩提の山に登れます💕
ありがとうございました!
いやはや、現世で鬼退治のお手伝いをさせられるとは思いませんでした、、、、😅😅
でも!なんだか晴れ晴れとした気持ちです、本当にこの求菩提の里に(豊前市)に、豊かな流れが降り注ぐことが約束されたかのように💕💕