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読書室の窓辺から(8)
※この記事には、本のネタバレを含む内容が書き連ねてあります
こんにちは。富岡です。
こちらは、課題図書型読書会「対談読書室」の8回目「課題図書『ふたりのロッテ』を語り合う(1)」の振り返り記事になります。
参加人数
・スピーカー :5名
・リスナー* :0名
*スピーカーによるディスカッション中は聴き手に徹し、読書会の全体の振り返り時に任意で発言可
読書室の風景
『ふたりのロッテ』の課題範囲を読みながらの反響をご紹介していきます。
スピーカーから、様々な気づき・感想が寄せられました。
一部抜粋してご紹介します。
「顔のそっくりな女の子」の2人(ルイーゼとロッテ)が出会うシーンが印象的。大人達の対応や、子ども達の対応。
翻訳が池田香代子さんだったのが何となく意外だった。文章だけからも、女の子達の賑やかな様子が伝わってきた。大人達の対応が年代を感じさせる。
2回読んだ。1回目ではわからなかったことが、2回目では自分の中で解決したこと。ルイーゼとロッテの食事のシーンと、夜寝るときにロッテが泣くシーンでのルイーゼの対応の変わりように驚いた。「ごんぎつね」のごんの「本当に申し訳ないことをした」と気づいたときの様子に似ていると思った。
ナレーションがよいと思った。(例:「ビュール湖のほとりのゼービュール」などの韻を踏んでいる感じや、風景を眺めて語りかける感じなどに、子どもが物語に安心して入っていけるやさしさを感じる)
ロッテとルイーゼの性格の違い。ルイーゼ:思ったことをすぐに表に出せる、ロッテ:我慢してしまうし、他人の顔色をうかがってしまう。これから、この2人は引かれ合うし、互いのことを補い合っていくのかな、と感じた。
大人が子どもに何かを押しつける様子が印象に残った。食事のシーンで、強制的に先生達が席替えをさせる様子など。
この物語が書かれた当時にしては画期的なテーマや様子が伝わってくる。(ルイーゼの「いや」と言える様子、など)。ケストナー自身が、子どもの人格を尊重して物語を書き続けているところも良い。
ルイーゼとその友人達:自分に正直で素直な性格。ロッテ:お母さんから「行ってくるのよ、ちいさなお主婦さん」と言われるなど、現代でいう「ヤングケアラー的なもの」を感じる。
「スミレとスミレが似ているように…」などの12ページの文章が、ほかの文豪も引用しているので、おもしろいと思った。
章の始めに、章の「トピック」みたいな見出しがついているのがおもしろい。地の文も、語りかける口調で書かれているのが、読んでいて安心感やおもしろさ、親しみを持てる。
章のはじめの「トピック」は、なんとなく「吟遊詩人の歌」のような印象を持っていた。
12ページ「夜には、ときどきホームシックという名の灰色の小人が…」が、やさしい印象で良かった。
ロッテが、髪型をルイーゼに真似てみるシーン。ロッテが「自分とは違う生き方」に(恐らく)初めて出会ったことが印象に残った。
同じケストナー作の『飛ぶ教室』が、ギムナジウムの男の子達の物語なのだが、もしかしたら、『ふたりのロッテ』と対になる物語かもしれないと思った。
今回残った疑問
(読み進めるうちに解決させたい疑問点)
ケストナー作の、この物語の時代背景が気になった。1930年から1940年代くらい?(それによって、寄宿舎の先生達の様子がわかりやすくなると思った)
時代設定を考えるヒント:川端康成『古都』と似ているという指摘されている論文がある(描写が似ている、など)
ルイーゼとロッテが主人公の物語だと思っていたが、なぜ、タイトルは『ルイーゼとロッテ』ではなく『ふたりのロッテ』なのだろうか?
考えるヒント:ケストナー自身が「ふたご好き」なのと、自身の視点がロッテ寄りだから?
読書室からのお知らせ
次の課題範囲について
岩波少年文庫より、『ふたりのロッテ』エーリヒ・ケストナー(池田香代子 訳)を課題本とします。
23/02/15(日)までの課題範囲は、第2章(30~47ページ)です。第1章の振り返りも行いますので、第1章(11~27ページ)も再読のほどよろしくお願いいたします。
次回の活動予定について
次回は、23/02/15(日)の13:00~15:00の予定です。
欠席連絡は、Discordサーバー「対談読書室」の「フリートーク」、または、富岡のTwitterのDM宛てにお知らせくださいませ。