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スタンディング シャドウ

これは、今夜降りてきたことなんだけど、「われわれは『キモチよかったらこの笛を吹いてください』と悪いひとが黒木香にヘンな笛を渡した後に生まれた世代」だ、ということ。
ネットフリックスは見てねえからね。
ただ、そう感じた。パフュー。

この世界につっこめないことなんか、ない! ってことは、だいたいハッキリしておる。

でね、8月末日にね、「8月31日の夜に」ってNHKの番組みたのね。
しょこたんとか出たやつ。
主に夏休みあけに死にたくなる学生たちを救おうって番組だったと思う。

それを観て、おそらくオラは義憤にかられようと思ってたんじゃないかな。

今の学生たちの地獄に寄り添おう! なんてオヤジ特有のお気楽さを発揮した結果! 学生の頃のキモチなんてビタ一文思い出せない事実を発見した!

トシとったもんだ。
思えばトシを経るということはいろんな分岐点に出会い、絶えず選択しまくるということでもある。
神なのかオラなのか、見えないサイコロを振るが如く、だ。
誰もが不安定。
選択の結果どこへ辿り着くのかなんて、わからない。
選択もタイミングによって「え、そこ選ぶ?」とブレまくる。
信じられないことが起きる、時もある。
ぼくが中坊の時に流行ったロールプレイング ブック風に言うなら「この部屋には何もないようだ」ってこともある。

だいたいのひとと同じように、ぼくが今ここにいるのも偶然だ。いろんな分岐点を選んだ結果、たまたま辿り着いた現在地。

だから、昔のことをあんまり回想しない。
「あの時ああすればもっと 今より幸せだったのか? あの時ああ言えばもっと 今より幸せだったのか?」
そういうことは10代の頃さんざん考えたけど、トシをとってからは「例えタイムマシンがあっていろいろやり直せても、同じ間違いを繰り返す」自信がついた。
だから思い出さない。

そしたら、昔のことをまるで思い出せなくなったという事実にブチ当たったわけだ。

こどもの頃、まだ毛の生える前も思いだせない。報われないことばかりだった10代の頃も、思いだせない。

個人的なことだけど、2000年にクラッシュして17年ほど滅んでいた。
ヒモみたいな生活も30過ぎてから、した。

その17年ほどもほぼ思い出せない。ほとんどなにもなかった。

ぼくは生きていたのが信じられないくらいだ。


今夜、Ex-Blankey Jet Cityの照井利之の単独ライブを観てきて、今はオーネット コールマンを聴いている。

ブランキーというバンドはロックの記録更新をしたバンドだと認識している。

「パパ ママ きいてくれ こんな遊びかたしかできない おれのことを誇りに思って欲しい!」「もうだめだと思うから てつだってくれるかい」で臨界を迎える彼らのサイコビリー発の音楽に出会った時は、北野武の「この男、凶暴につき」に出会ってしまったような、ショックを受けた。
いや「あの夏、いちばん静かな海」に近いかな。「神さま あなたは純粋な こころを持っていますか」と轟音をならすブランキーは、それが近い。

ぼくは出会い系を眺めて世界を知ろうとするヘンな試みをしている。
ブランキー活動時「ブランキーも小沢健二も同じものを追ってる」とゆってブランキーのファンに不興をかった。

今40代に突入した往年のリスナー女子たちはけっこうな確率ですきなミュージシャンにブランキーとフリッパーズギターを並べておる。
オラの怨念が証明された気分だ。

ぼくら団塊ジュニアはビートルズ体験や全共闘体験、ヌーベルバーグ体験やパンク体験をした先行する世代に較べると何もない気がした。
ドキュメンタリーとかでみた1968年という体験はそれだけ輝いてみえた。

でも、90年代という時代を生きられたことで、ぼくはそれなりの充実感を味わった。
なにもない、ことはなかった。

村西某が黒木香にヘンな笛吹かせた後でも、花は咲いた。徒花だけどな。

「おれたちは世界でナンバーワンになるデビューアルバムを出して解散してやる」と宣言した昔なつかしいマニック ストリート プリチャーズの、実はギターが弾けないギタリスト リッチー(失踪して未だ生死不明)の上腕に刻まれた刺青「ユーズレス ジェネレーション」。
いずれぼくら、そんなものだろ。
マニックスのデビューアルバムは結局ナショナルチャート14位どまりだったし、解散もしなかった。


そんな90年代を彩った楽団のひとつがブランキーだった。
絶頂期のブランキーは金髪リーゼントとロングヘアとまるでインディアンみたいなモヒカンの3人組だった。

シンガーでもなく、ブランキーでいちばん目立っていた中村達也でもなく、ぼくはずっとベースの照井氏が気になっていた。
ベースをいじっていたぼくにとって、照井氏のベースの音は垂直に立っていたし、もの凄い密度だった。
いちばん目立たないひとだけど、いちばんセンスのある感じがした。
ベルベット アンダーグラウンドでいえばジョン ケイル感。

どこのクニのひとなのかよくわからない無国籍感はまるでポンニチ産のアニメのようだった。
アニメゆうても、エヴァとかじゃなくて森本晃司とかのほうね。

そういえば今年はAKIRAの舞台になった2019年でもあり、奇しくも今月はブレードランナーの舞台になった2019年11月、だ。

デカい一発はこなかった。
200X年どころか、アンゴルモアも2000年問題も不発だった。
デカい一発はこなかった。

でも、ぼくらの90年代の心情はまるで幻の核戦争後の世界というか、妄想幻魔大戦を生きていた。
物資の絶えない核戦争後の世界だった。
小沢健二の「昨日と今日」はそういう曲だったヨ?

そんな90年代が鮮やかな僕にとって、今夜の照井利幸の音楽はきれいだった。

かつてのような轟音や爆裂ロックはない。

凍てつくようなコード進行の行間にごうごうと吹き付ける風のごたる音楽だった。
しかし、かすかな希望が、あった。

センチメンタルな音だった。

まだまだたいしたトシじゃないけど、思えばいろいろあったな。今夜すげえ感じた。
あなたはここにきて、ぼくはここにいる。あの頃一緒にいた「行動することが生きること」とゆってた美少女は今夜おいしいオサケを飲んでるだろうか。

ほとんど思いだせないけど。

1971〜1989をほぼ思い出せず、2000〜2017までもほとんど思い出せないから、アラ、90年代の記憶しかねえけどな。

ブランキー解散後はベンジーのステージも達也のステージも観たことないなあ。思えば、ブランキー後のメンバーのステージを観たの初めてだ。
ブランキーも解散までずっと聴いてたわけじゃないけど。

小さい画像のサングラスでモヒカンのひとが照井氏。今夜、テレキャスターを弾いていた。テレキャスターといえばキース リチャーズだけど、どっちかいうとジョニー グリーンウッドのテレキャスターみたいだった。


そういえば、本日シコった後(昭和40年代生まれは30過ぎてもシコるよな/グループ魂)に今日昼寝してて、高校3年の時に照井利幸が転校してくる夢をみた。

学ラン着てるけど、上半身刺青だらけの照井氏にPTA会長や教員、なにより学級委員がつめよる。ぼくはむかついて「で、犯罪でも犯したのか法に触れたか誰かが死ぬのか!」と叫んだところでめがさめた。


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