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ロンドン バーニング

ジョーカーは後悔しない。ジョーカーは理解して欲しいと願わない。
ジョーカーは、同情を求めない。

ゆえにジョーカーは凶悪である。
ジョーカーには未来も過去も、ない。

これが未だバットダンスを歌うことができ、ティム バートンのバットマンと18で出会ったぼくのジョーカー観です。

ヒース レジャーのジョーカーはもっと無茶苦茶やん。
真のニヒリスト。

ジョーカーはニヒリストだと思っている。

でも、ぼくはアメリカン オルタナティブの一部としてバットマン映画と時代を共にしただけ、でバットマンのなにもかもを知ってるバットマニアでもなんでもない。
ジョーカーのなんたるかは、ティム バートン以降の映画でしか、よく知らない。

バットマンのコミックスも「ダークナイト リターン」と「アーカム アサイラム」しか持ってない。

仮にジョーカーがにんげんくさい映画があっても「オレが考えてるのと違う!」と怒る気もない。
それも、アリやん。と考える。

映画なんてのは、主題が魅力的なら何回でも映画化され何回でもリターンマッチが出来るものだ。
むしろ「映画化はもうない」なんて思うから「これチガうー! やり直し!」なんてオタクが大量発生する。

それが違うなら自分で撮ればイイ話だ。それがヒットするのか、そもそも以前に劇場でかかるのか? はまた別の話だけど、自分でもすきなように撮れる(それが8mm少年たちのアイディンティティーだった筈だ)世界のほうが豊かな筈だ。完成度とか整合性とかはどうでもいいのだ。

この映画は丁寧に作られてた。星4つにしてもイイくらいだ。脚本とホアキン フェニックスの不穏な身体の果たした役割は大きい。
前の年に似たような形でヒットした「ボヘミアン ラプソディー」に比べたら、もの凄く丁寧に作られてるし、練りこまれてる。

よく、受け入れられたもんだと思う。

ガンダムに「スペースコロニー 宇宙世紀 ミノフスキー粒子」というハズしてはいけない作法があるように、この映画も「ゴッサムシティー ウェイン家 劇場の外での殺人」というバットマンの基本には引きづられている。

果たしてホアキンのジョーカーがブルース成人まで生き延びられるのか? アーサーがカリスマになれるのかという点では非常に問題があるのだけれど、おそらくこれはジョーカーという個人に関する映画ではなくてジョーカーというムーブメントのキッカケについての映画だろう。

ホアキンというジョーカーがジョーカーになったのではなく、あの暴動の群れの誰かがジョーカーを継いでいくのだろう。

ビデオデッキがあったから、70年代を舞台にしてるのだろうけど、基本的構造は日本でいうと「三丁目の夕陽」の系譜の映画だと思う。

最後にドアーズを引き合いに出したい。「親父を殺して ママとファックしたい!」ゆうジ エンドな。殺す親父がいないから、ファックする前にママを殺したホアキン ジョーカーは粗チンだったのだろう。

mixiのレビューより転載
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2020年01月29日
満足度
満足度 3点
「ジョーカー」

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