好き?好き?大好き???
このタイトルにある問いかけを、僕は自分自身に対して使う事が多々あり、2022年が始まった辺りから爆発的にその頻度が増えました。
特に自分を取り巻く人間関係について「自分は本当に相手が好きなのだろうか?」「このコミュニティに所属していて自分は本当に幸せなのだろうか?」という様なことを、何度も何度も自問自答した。
今結論から言うなら、好きでした。その人の行動を嫌って離れたのは事実だけれど、人間的に全てを嫌悪した訳では無いから。それが友情でも、恋愛でも、その人達がいて救われた部分は確実にあった。
元職場の上司と直近縁切りした男などはこの限りではないが......。
「自分の事さえ救えていないのに他者を救おうとするな」が長らく持論だったけれど、自分はそれを実践する彼彼女等に救われていたのです。その中にはもう連絡を取る事もないであろう人達だって存在します。
自分以外の誰かに必要とされたり認められた時が、一番自分を肯定できる瞬間だと思うから。
それなら、自分がやるべき事は、支えてもらった分だけ沢山笑うことだと思う、壊してしまった分だけ自由に生きていくことだと思う。
そして今度は自分が今関わりある人に「自分にとって貴方が必要だ」と伝える事がその人を救うことに、ひいては過去関わった人が自分にくれた好意や善意を肯定することに繋がる気がするのです。
2019年から2024年4月まで他者(自分の中で悪
と判断した人間)の成功を叩き、不幸を嘲笑していた自分。まさに他人の幸不幸で一喜一憂している状態。文字にすると最悪さがより一層引き立ちますね。そのくせ自分の不運については片っ端から他人や環境のせいにしているので増々手が付けられない。すぐ何でもかんでも善悪に振り分ける短絡的思考の愚かさについて考える様になったのは今月(2024年5月現在)他人の失敗談やゴシップにいちいち難癖つけるより、その時間を使って自分の好きな事をしていた方がだいぶ建設的だなと。
実際こうして文章書くのは楽しいです。それが国語の作文にしろ、小論文作成にしろ、趣味の小説にしろ、場所が変わってTwitterという箱庭で180文字のあれやそれやをひたすら投稿するという事にしろ、文章を書き続ける事だけは小学生の頃から飽きずにやっていますからね。
自分は残りの時間がもう多くない事は理解しています。でも恐ろしさや悲しみや絶望はありません。全部残すから。ちゃんと。
Twitterで、noteで、いつでも会えるからね!
もうすぐ自分の世界が終わる事、喜びより安堵が先にきちゃったんです。そんな僕なんです。
まだしばらくよろしくお願いしますね