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「どうしようもない現実ってあると思います」というなきそさんのコメントが鋭く刺さって抜けない

これは、プロセカの「25時、ナイトコードで。」にて書き下ろし楽曲担当したボカロPの「なきそ」さんが添えたコメントですが、今現実が正にこれです。SAN値直葬。
多分、誰が悪いとかではなくて、正しい意味で受け止められない自分の責任だと思います。淡々と綴っていますが、システマチックに文字をフリックする作業に徹していないとなんの弾みで泣いてしまうか分からないためこれでも本当にギリギリです。
心が、限界で。

どうしてそうなった、みたいな経緯は省きます。書いても読んでも誰も得しないので。
今まで散々人に聞かせるもんじゃねえことをnoteやTwitterにあげてきたのに、ここに来てまともな人間の真似事をしているのは心がブレーキをかけようと必死なんだろうか。

どうしようもない現実、どうする事も出来なかった現実。人間関係の構築と維持が難しい、向いていないというのはnoteにも書いてる気がするしTwitterでも散々言ってきた事ではあるけど、それにしたって捻くれすぎている。人と本心で向き合うことが苦手。否定も批判も拒絶も怖い。
それでも、いつまでもこのままじゃダメだ、いい加減進まなきゃいけないと自分に言い聞かせどうにかして相対してみても、1度心に宿った欠落感や諦観や、これは本当に自分勝手だけれど失望は消えたりしなくて。
勝手に期待して勝手に失望するという最悪さは理解している。理性では、理屈では分かっているのに。
成功体験が積めない限り一生このままな気がしてきた。でもこれに成功体験なんてあるのか?自分の捉え方の問題で相手に非はないのに?

なんかもうここまで来るとどれもこれも自分が怠惰なせいなんじゃないかとすら思えてくる。幼少期から少なくとも20歳少し過ぎる辺りまでに、もう少し実直さや素直さというものを会得していればこうなりはしなかった気がするから。

前回のnoteの間で結構色々あったというか自分の人生の10大ニュースに入るくらいの出来事が起きたと言うのに、それすら押しのけてこれ書いているくらいなので本当に限界なんだと思います。それでも言語化したら少しは整理がついたりすっきりしたりするかもしれないと希望をかけて書いてます。文字を書くことくらいしか取り柄がないので(取り柄と言い切れるほどでもないのは理解している)
ひとまずnoteの更新も兼ねて心の内をひたすら言語化しました。
推敲というか、濾過するつもりも気力も無いので、せめて誤字脱字がないかだけチェックしてこのまま投稿します。
こんな1から10まで抑うつにまみれた文章誰が読むんだろうかとも思ったけど500文字超えたあたりで考えるのを辞めました。
意味とか考えだしたら、自分はこのnoteに投稿した記事の半数を削除しなくちゃならなくなるので。という事で心が疲労困憊してる様子をそのまま反映させた記事が出来上がりました。一期一会をお楽しみください(日本語変だよ)
 
そういえば以前も10月に心も目の前も真っ黒になってそれをストレートに文章にした事があったのを思い出しました。懐かしい。

追記:チェックしたにも関わらず脱字してました。死にたいです。

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