愛は引き算?
皆さんこんばんは、Cokkeです。
インフルエンザが大流行してますね;;;
皆さん大丈夫でしょうか;;;
今日は本来人の持っている愛の大きさについて書いてみようと思います。
ちょっとたとえ話になるので想像してみて下さい。
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あなたはこれから家に帰ろうと思っています。
しかし外は雨。
普通はここで傘を差しますよね?
それはなぜでしょうか。
服が濡れてしまうから、カバンが濡れてしまうから、
PCが濡れてしまうから、靴が濡れてしまうから、
髪がぬれてしまうから、みっともないから、
ですよね。
(は?といわず、まあ聞いてくださいw)
誰しも小さい頃や学生時代、こういう経験はなかったでしょうか。
歩きやチャリでの帰り道、急に雨が降ってきて
びちゃびちゃになってしまうけど、どうしよもなくて
「もういいや」って開き直って普通に堂々と帰るという、、、
(そういえばこないだの土曜、大雨の中チャリで激走しましたw)
そうするとむしろ解放感だったり、気持ちよささえ
感じた経験はなかったでしょうか。
皆しかめっ面で帰っているのを尻目に余裕でいるというw
そして時には雨にあーんして飲んでみたりw
話を戻して、これには愛の本来の姿が隠れているのでは、って思うんです。
というのは、こう置き換えてみて下さい。
「雨」=不安要素、やってみたいと思うけど怖いもの
「服や髪」=世間体、肩書、見栄
「PCやカバン」=知識、所有欲
今の時代いろんな情報や知識や世間体や肩書に縛られすぎて、
本来の愛(情)に感謝を持てなくなっています。
なかなか気にせずにはいられないし、捨てられずにはいられませんよね
でもそこから解き放たれたとき、
そこにあるべき愛や感謝、(気付き)がはっきりと見えてきます。
先ほどのたとえ話の「服」だったり「カバン」だったりを取り払っちゃうと
不安に思っていたことにも向き合え、「雨」に愛すら感じるようになります。
(極論かもしれませんが・・・)
人は生まれながらにして大きな愛を持って生まれてきているはずです。
比べるものではありませんが、そこに「差」はないと思います。
ただ生きていく中で、情報過多の時代ですからどんどんいろんな物や知識を取り入れて
引き算されていってるんじゃないかなと感じるのです。
愛が大きくなっていく、、とかっていう表現も耳にしますが
それはきっと何かに夢中で、何かを捨てているからですよね。
究極に突き詰めていくと大切なもの以外残らないはずです。
愛情深い人は実にシンプルです。
行動も、発言も、考えることも、、、、(あと部屋も)
すぐに確信を付きます。
これが自己実現の秘訣なんじゃないかなって思います。
ごちゃごちゃしている人は
行動も、発言も、考えることも、複雑ですw
かっこつけて、いろんな事象を論述して、わざわざ複雑化してます。
「本当に大切なもの以外捨ててしまえばいいのに、、」
バックパッカーの高橋歩さんも仰ってましたw
簡単なようで難しい
難しいようで簡単
なんですね
本日もここまで読んで頂きましてありがとうございました!
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