妄想の中じゃ負けがない それじゃどこまででも置いてかれるぞ

 結局、普通に睡眠をとってしまった。気付かなかったけれど休講になった授業もあって、最終的にはそこそこ試験勉強に時間を当てられた。ただ手を全く付けなかった範囲もあり、出来としては非常に微妙である。この”微妙な手応え”という懐かしい感覚。ここ一年くらいは諦めたきり、まっさらのすっからかんのまま終わってしまうものばかりだったので、今後の努力でどうにかできそうという点に嬉しさを覚える。レベルが低いなあ。でも現実だし頑張らないと。

 今回、試験勉強に少し真摯に取り組んで学んだことは、勉強をするときは音楽を聞かない方がいいということ。真面目な話、YouTubeで音楽を聴くのを自重した方がいいだろうな。ナチュラルに動画検索にシフトするし。日記書いているときくらいにしようと思う。

今週はまだ試験がある。一番訳の分からない科目。明日はほかの科目をある程度終わらせようと思う。毎度毎度、切羽詰まってから「あのときああしていれば」と後悔をしては何も成長せずに、なんかの歌を聴いては自分の心を入れ替えられたような気分を楽しんでいた。

 今日バイトに出られますか?と連絡が来た。正直アルバイトに行きたくないというのは絶えずずっとそう思う。しかしできるだけ多く稼いでおいて、辞めたいときに辞めようかなあ、と考えているのでそれまでは多めに行っておくことにした。

 もう正直自分にできそうなバイトはないし、正社員で上手く働ける気もしない。3億円欲しい。

 仕事ができないのが精神的に来るのはもちろんのこと、自分だけが人間的楽しさの欠いた寂しい生活を送っている唯一人であることをひしひしと感じてしまう瞬間、どうしようもなくなる。家に帰れば自分の持つ、みすぼらしさや寂しさが麻痺してしまう。自分にとってこの上なく都合の良い場所であるから。もっとしんどい思いをして、「今日は頑張ったなあ」と自分を肯定したい。自己啓発本しか読まないようなキッショイ意識高い系の言うようなことって、キショいけれど間違ったことじゃないよな。キショいけど。

 昼過ぎまで眠ると夜に眠れないから真夜中にただただ布団の上に寝っ転がっていた去年。高校、大学、就職、バイト、スポーツ、音楽、小説、あらゆるものにおいて、あらゆるレベルで自分が活躍する妄想に耽っていた。今までの記憶をねじ曲げたものから、現実感のかけらもないものまで。

 ふがいなさはほぼほぼ変わっていないけれど、現実で頑張ることに目を向けられるようになってきたような気がする。

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