自分がいる所をいつも仮の場所だと 逃げて逃げて夢の世界へ

 Linuxで上手いことソフトが動かんからエラーを検索するとやれaptやらsudoやらを使ってインストールしたり変更したりしろと言ってくるけれど、俺のやつaptもsudoもコマンド自体が入っていない。Linuxの本借ったのにaptとかどうやったら使えるようになるのか書いていない。たぶん根本的なところで分かっていないことがあるからこうなっているんだが、なんか全体的にPC全般ペーペーの素人に優しくなさ過ぎないですか。よく分からんものを良く分からんもので説明されても分からないというか。まあそうですよね、質問相手がPCに精通している人なわけだから、その人にPC分からん人間のことなんか分からないですよね。cygwinをサイグン、gnuplotwをガンプロット、LaTeXをラテックスて読んでましたし。
 昼過ぎから研究室に向かうという、まあ相変わらず怠惰な一日でした。俺以外の4年来てなかったけれど。まあ院試勉強ある人もいるしね。自分の研究室は半分以上の人が院に行かないらしいけれど。中学校の同級生らしき人を駅で見かけた。結構仲良かった気がする子だったけれどなんとなく話しかけることができなかった。同い年の人は軒並み働くなり何なりしている年齢で自分自身現状に焦燥感を覚えることが多々ある。あまり積極的に昔の人と関わり合いたい現状ではない。浪人も留年も開き直りつつあるから突っ込まれてもそれほど気にしなくなってきたが。逆に平日の昼過ぎにどこかに向かうその子の現状に突っ込みたくないから話しかけなかったのだろうか。母親同士のコミュニティーというのはなぜ当の本人があけっぴろげにしたくないであろうことやあからさまな自慢話を執拗にやりとりし合うんだろうか。いろんな意味であんまり聴きたくないような情報が母親越しに伝わってくる。自分のことも伝わっているんだろうな。なんというか、いたって普通とされるような道を順風満帆に躓くことなく歩んでいくことは思いの外難しいのだなあと感じさせられる。自分の場合は完全に自業自得ですが。進学とか友達とか恋人とか就職とか普通とされるものごとがあって、だいたいの人がそれらを滞りなく経験して、自分がそのうちの一人になれることをずっと疑いすらしていなかった。あらゆる努力を放棄したくせに。普通のハードルを何一つ越えられないまま20数年生きる事になるとは。幼い自分が今の自分を見て何を思うんだろうか。
 クレジットカード言うものはお金を使うという行為をいとも簡単に麻痺させてしまう。見たくないので厳密に計算しないが今年だけでDMMに10万円くらい使っている気がする。夜更かししてYouTube見て2chのまとめ見て無料の漫画読んでシコッて一日が過ぎていく。あの日思い描いた普通になれるはずもない。わずかばかりでも他人と自分を照らし合わせる様な機会が来ると十分すぎるほど無駄に過ごした時間と思い出のない自分を悔いて自己嫌悪になる。他人のいるコミュニティーに是が非でも所属したくなくなるジレンマでがんじがらめだ。

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