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「30/25」

誕生日は嫌いだ。

っていうと、屈折していると思われることうけあいだ。
まあ、嫌いというか、苦手とでも言っておこうか。

自ら「誕生日です!」って言ったら、なんかひけらかしているような気分になる。一方で、祝われなかったらそれはそれで、少し傷ついてしまう自分もいる。自分自身、人を祝うことは自体は好きだからこそ、いろんな人との関係性が少し見えてしまいそうな日みたいな位置付けが自分の中にあって、怖い?みたいな?
とにかく、ただでさえ面倒くさい自分が(自覚はある)1年で一番面倒くさい状態になる。

だったら、まあ、ひっそりと慎ましやかに過ごそうか、となる。
人に期待しすぎなんだろうな、きっと。

まぁ、そんなわたしのどうしようもないネガティブな話はさておき。
どうあれ、事実として歳をとった。
年々、年を重ねることに対して特別感が希薄になっていく。
ただ、死ぬことなくに29年が経った。というと流石にもののあはれがないか。

されど、なんとなく29歳になることって、20代も今年で最後か、って、ちょっとだけ自分の中でちょっと特別?な感覚があって、
30になったら何が変わるか?なんて、特に変わることはないかもしれないけど、節目にするにはもってこいだからきっとなんか意識してしまうところがあるのかもしれない。

それで、20代最後の年の抱負?宣言?記録?みたいなものをピンを打つような気持ちで残しておこうと思った。備忘録のようなものです。

演劇はこの先も続けていくと思う。

長岡で自分で劇団を作って早1年。劇団ポイニクスは現在6月に控える第二回公演「ビューティフル・サンデイ」に向けて稽古を始めたところだ。

稽古、始まりました。そろそろ台本を手放さないと…

地元で劇団を作って、一回限りではなく第二回の公演を作れていることは、周りの方々の協力や応援があってこそで、本当に頭が上がらない。稽古も楽しくできている。稽古がある日は少しばかり朝起きる時も気持ちが良い。演劇で多忙になり、首が回らなくなる時もあるけど、やっぱり演劇は自分にとってなくてはならないものだなって感じる。

最近思っているのは、もっと長岡で演劇をする人がたくさん増えたらいいなってこと、勝手な考えかもしれないけど。
自分が演劇が好きだから、いろんな人にもやって欲しいっていうわけじゃない、それはおこがましい。でも、演劇がしたいけど、どこでどうやればいいかわからない、って理由で演劇できない人も周りには一定数いるのかなって思ったりする。それは、過去に演劇をやりたいなって思った時に長岡に劇団がなくて、地元でやることを断念した経験や、昨今開催したポイニクスの戯曲リーディング会に、興味関心を持って参加してくれた人の声などを聞き、そう思った。

4月に行った戯曲リーディング会。
4名、申込や飛込ではじめましての方が参加してくれた。
昔演劇やっていた方がいれば、初めて戯曲を読むという人もいた。

演劇なんて、やりたければやればいい。ってやりたい人に言えるように、演劇ができる環境を長岡で作って行けたらいいなって思う。そのためにできることは今はまだ小さいかもしれないけど、戯曲リーディング会は定期的に開催するつもり。あと、実は9月に小千谷のお世話になっている住職さんのお寺で劇をやる予定がある。その演者は公募しようかなと考えている。台本は鋭意執筆中だ。

自分たちが演劇を楽しむのと並行して、演劇に興味を持つ人が演劇ができる場を作っていく、それが、私自身のしばらくの演劇的目標かなって。
そう考えると、演劇はやめるわけにはいかないなって、勝手に思っている。
まあ、劇団ポイニクス自体が目標として「長岡で演劇を永く続けていくこと」だから、無理のない範囲で。できることはたかが知れているから、その中で、できることを確実にやっていきたいなって、そう思います。


学び直しをします。

趣味は演劇が一つあれば十分で、逆にそれ以外に割けるリソースはほとんどない。最近では、タップダンスを初めてそれが演劇以外の趣味?と言えるくらいだろうか?ひとまずタップダンスは浅草キッドの「King &queen」を今年中に踊れるようになるが目標です。閑話休題。

趣味は、もう十分。ただ、もう一つ人生において大きなこと、仕事のについて。あえてわかりやすく、カッコつけて言おう、キャリアについてだ。
今、私は公益財団法人長岡市芸術文化振興財団というところで働いており、長岡市立劇場の管理運営の仕事に従事しています。仕事も演劇や舞台に近しいところで様々な気づきもあり、プロの舞台の方なども仕事で接することができ、また、自身の演劇活動についても一定の理解をいただき、演劇を趣味としている者としてはこの上ない職場なのかも知れません。
ただ、キャリアという点については、どうしてもこの年になっても捨てきれない未練が一つあります。それは何か?

先生になりたい。

ということです。
これを文にして書き出すの、結構勇気が必要ですね。
それに唐突だな?とか思われるでしょう。
人によっては、お前が?と嘲笑されるかも知れません。
どう思われようと結構です。
これが、私の10年来の未練なのです。

振り返ると無限に文章がかけてしまいそうなので、なるべく端折りますが、そもそも私自身の高校時代までの夢は学校の先生になることでした。小学校までの私が内気で、気弱で、それを叩き直してくれた小学校時代の先生に憧れを抱いて、それ以降、ずっとその夢をお守りにしていました。が、大学試験で大失敗して、浪人をする中で、そのほかにやりたいと思うことに出会い、教育系の大学ではなく、芸術系の大学に進学をしました。

ただ、大学に進学してからも「教育」の現場というものをきっと無意識に追いかけていたのか、「宮城山形カタリバ」という高校生のキャリア教育の団体に参加して、高校生の将来のことを一緒に考える授業するために同世代の大学生と夜な夜な授業の内容を話し合って作り、そして多くの高校へ授業に赴きました。大学生活の中で一番リソースを割いていたような気がします。

カタリバの授業で高校生に向けて、自分の人生をさらけ出す「サンプリング」
ふりかれば、しくじり先生みたいな授業だったな…自分は。
7月のエアコンのない体育館で15分間×4回くらい、しゃべりっぱなし。
Yシャツはびちょびちょに。
結構まじめ聞き入ってくれたんですよね
こんな私のしくじり話を。

ただ、大学はいろいろあって中退してしまった。
そこから地元の市役所に努めることになるわけだが、そこでも教育の機会にどういうわけか立ち会うことが多くあった。
地元の小学校でボランティアコーディネーターを行い、小学生の授業に地域の方がボランティアするつなぎ役として小学校に多いに通い詰めました。
また、地元の中学校へは、地域学習の一環で総合的学習の時間に地域理解を深めるための授業を約3カ月に渡って行いました。

図らずとも、いや、自ら飛び込んでいったところもありますが様々な形で教育の現場に関わって、結構楽しかったんですよね。柔軟な考えや、強い想いに触れて、それを形にするお手伝いをするのが。あんまし使いたくない言葉だけど”やりがい”を感じた。

だから、というわけではないけど、違う仕事をする中でもずっと未練のような形で「教育」というのが自分の心の中にずっとあった。でも、何をいまさら、と自分を諫める、というのが続いた。

ただ、数年前に無二の友人が社会人から警察官になるべく試験を受けて、警察学校に通うということがあった。無事卒業し、彼は今では立派な警察官だ。そのことに何か、大きな刺激を受けて、同時に何か大きな不安に苛まれた。不安って何だったのか?その時はわからないというか、どういうことなのかを示す言葉を知らなかったけど、最近それが分かった気がしていて、おそらく「クォーターライフクライシス」だったのかなって。

クォーターライフクライシスとは、20代後半から30代が陥りやすい幸福の低迷期こと。2001年頃から浸透し始め、アメリカやイギリスでは一般的な概念として広まっている。同年代の人が自分よりも輝いて見えたり、自分らしさを見失ったりする状態を指す。科学ライターの著書で提唱されて以来、アメリカやイギリスなどで広く浸透している。

人生の4分の1が過ぎる時期は、若者というカテゴリーに当てはまらなくなる一方で、一人前の大人として扱われないこともあるだろう。大人に移行しきれない焦燥感から人生について不安を感じたり、幸福感を得にくくなったりする人は多い。

実際に、2017年のLinkedIn Corporationの調査では、25歳〜33歳の7割以上がクォーターライフクライシスを経験していることが明らかになっている。

LinkedIn Corporation「New LinkedIn research shows 75 percent of 25-33 year olds have experienced quarter-life crises」

30歳をそろそろ迎えようかという中で、将来について考えるということの解像度がとても高くなってきて、ゆえに不安の解像度も高くなる、そういったことが自分に襲い掛かってきて
これからどういう風に生きていきたい?ってことを突き付けられたような感覚だった。

30歳という記号を意識しすぎなのかもしれない。
ただ、気づかぬうちに体力は落ちて、肌はどんどん汚くなっていき、疲れやすくなっては、枕から自分の匂いか?と疑いたくなるようなにおいが少しずつし始めている。
このままそうやってただ年を重ねていくのは嫌だなあ、と年齢のことやこれからのことを考えれば考えるほど、思うようになった。

そこから、先生になりたいという気持ちが再燃して、動き始めた。
どうやら教員免許認定試験というパスすれば教員免許を取得できる試験があり、それに向けて勉強をして挑んだが、勉強が全然足りずに不合格。片手間の勉強では中途半端だったことを思い知らされた。だから決心した。

大学に入って勉強をすることにしました。
所謂、学び直し。
通信大学の教育学部に入ってこれから3年間教員免許の取得のために本気で勉強をします。

無謀で結構、かかってこい「クォーターライフクライシス」くらいの気持ちで。たぶん、やらなきゃ気が済まないんです。思いのほか自分は結構頑固で、わがままなんだってようやく少しずつ自覚できるようになってきました。(周りからはよく言われてましたが汗)
だから、どうなるかわからないけど、とにかくやってみようと思います。
たぶんやらないと後悔して、あの時やっておけばよかったなあって40くらいになって酒を仰ぎながら言っている自分が容易に想像ができてしまったので笑

フローを狙い続けたい。

ということで、この春から大学生です。
仕事をしながら勉強をして、しっかり演劇もやります。
くそ忙しいですね。きっと、いや必ずいっぱいいっぱいになると思います。
いつだって、そんな状況がここ数年続いていますが、更に自分を追い詰めるようなことになります。馬鹿だなあと思いますが、仕方がない。こういう生き方しかできないのでしょう、きっと。

ただ、やるからにはきちんと有言実行で。
できるかどうかわからないことに挑むことって、実はめちゃくちゃ幸せだったりするみたいですよ?所謂「フロー」ってやつで。
自分の能力とチャレンジすることの難易度がギリギリ釣り合っている状態。
自分の能力を高く見積もりすぎているかもしれないですが汗

フローを狙い続けたいと思います。だらしない人間だから、何かに挑んでいないとすぐ下降の一途をたどってしまうので、こうやって言葉にして外に出すことで、頑張らなければというモチベーションにさせてもらいます。
こんな長文駄文を最後まで読んでくださった方
どうか、生き急ぎ野郎のささやかな挑戦をどうか生暖かい目で見守ってくださいませ。


30/25

PS.
この記事のタイトル「30/25」は「RENT」作者のジョナサン・ラーソンが作った歌「30/90」より。
この曲は作者が1990年に30歳になるということで、私は何を成し遂げてきたのだろう?と今でいうクォーターライフクライシスに対して書かれた曲。

2025年に30歳になる。から「30/25」
うん、わかりづらいし、格好つけすぎですね。そういうところたぶんもう治らないと思います笑

ただ、この曲は本当にいい曲なので、同じようにクォーターライフクライシスに苛まれている同世代の方に是非聞いてほしい一曲です。

それでは。


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