北の海の航跡をたどる〜『小樽・利尻礼文航路』 #8 ダウンサイジングされたカーフェリー『第一宗谷丸』
1982年(昭和57)8月、「おたる丸」(2代)が航路を離れると北海商船フェリーは、東日本海フェリーより『第一宗谷丸』(537トン)を用船します。
「第一宗谷丸」は、稚内・利尻礼文航路で初めて導入されたカーフェリーでした。
北海商船フェリーは、引き継ぐき航路の収益改善などを図るも稚内・利尻礼文航路に2000トン型、3500トン型フェリーが就航するに及び物流や観光客の渡島ルートを変えることは難しい状況が続くことになる。
結局、「第一宗谷丸」は、就航から6年後の1988年(昭和63)に転出します。
その後、東日本フェリーへ売船され「つがる丸」と改称して1989年(平成元)7月、三厩(青森県)〜福島(北海道)間の三福航路に就航(夏期のみの季節運航)します。
4年後の1993年(平成5)、フィリピンへ売船されます。
北海商船フェリーは、航路の苦境を打破すべく「第一宗谷丸」に引き続き1988年(昭和63)、東日本海フェリーより『第二宗谷丸』(988㌧)を用船します。
この船が同航路最終就航船となります。