サハリン航路終焉から9年 14 西浦 宏之 | ノース・ブランド LABO 代表 2024年9月18日 18:17 1945年(昭和20)8月、稚内と樺太・大泊を結んだ『稚泊航路』が22年間に及ぶ歴史的使命を終え航路の終焉を迎えます。それから54年後の1999年(平成11)日本船籍船として“アインス宗谷“が航路を引き継ぐ形で運航されました。しかし、2015年(平成27)9月18日にアインス宗谷は、運航を終了します。稚泊航路よりも短い17年間の“船旅“でしたが、アインス宗谷が担った役目は、稚泊航路に就航していた亜庭丸や宗谷丸にも負けていなかったと思っています。 サハリン航路開設当初は、現在、稚内フェリーターミナルがある場所に簡易的な平屋のターミナルを建設してアインス宗谷もその横の岸壁から出入港していた。写真は、サハリン向け貨物の積載を終了して一息入れているところ。 稚内国際ターミナルでのサハリン航路受付カウンター。ロシア人の手荷物や携帯荷物の多さには閉口したことを覚えている。 サハリン航路は国際航路である。稚内港からサハリンへ向けて航行して日ロ中間ラインを通過する時に“ロシア国旗“を掲げる義務があった。 サハリンへ向け航行中には、少なくとも2度、クリリオン岬にあるロシア国境警備隊に無線連絡を入れる必要があった。船の名前や乗客数、乗客数、貨物の重量などを報告する義務があった。また、コルサコフ入港前にもポートコントロールへ連絡するようにように指示を受けていた。何か不都合な事が発生して私が業務乗船している時には、私が無線で先方に連絡する事があった。 アインス宗谷の船内売店。日本人やロシア人乗船客で休み暇がないくらい忙しかった。ロシアのお土産も人気商品の一つだった。 アインス宗谷は、国際航路就航船なので缶ビールは、100円で販売されており、缶コーヒーよりも安かった。ロシア人乗船客は、度々、箱買いしていた。 コルサコフ港に着岸中のアインス宗谷。港湾関係者たちは、アインス宗谷の船長の操船能力の高さを絶賛していた。写真のアインス宗谷は、民間フェリーでは珍しく岸壁に直角に係留する“縦付け“である。これは、軍艦などの係留の仕方である。 アインス宗谷は、コルサコフで1泊することがあった。その場合、仕事が終わると船内の食堂は、『居酒屋 アインス』に変わる。“ロシアビールあります“がユニーク。 アインス宗谷は、5月上旬に運航を始めた時があった。その際には、時々、流氷帯に遭遇していた。 アインス宗谷の歴代の船長さんたち。彼らがいなければサハリン航路は存在しなかった。 船長と船員さんは、会社から選抜された人たちでした。能力がある人ばかり。何度、助けられたことか。 本日(2024年9月18日)は、サハリン航路の運航が終了してから9年目。来年は、10年になるので、時間があればサハリン航路の歴史を纏めてみたい。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #稚泊航路 #稚内港 #アインス宗谷 #宗谷丸 #100円ビール #サハリン航路 #亜庭丸 #コルサコフ港 14