1945年8月20日~『九人の乙女』の悲劇

画像1 今から79年前の1945年(昭和20)8月20日、当時、樺太(現 サハリン)の間宮海峡に面した港町・真岡(まおか)で9人の若い女性が職務を全うして集団自決した。終戦の日から5日後のことである。写真は、真岡郵便局の本棟。彼女たちの職場である電話交換室は、本棟の裏手の別棟2階にありました。
画像2 彼女たちが担っていた電話交換業務は、日本軍にも樺太島民にとっても重要なインフラでした。彼女たちは、自分たちの仕事に誇りを持っていたに違いありません。
画像3 8月20日 ソ連軍が真岡に上陸して市街戦が始まり、逃げきれないと思った彼女たちは、青酸カリを飲み、自ら命を絶ったのです。九人とも20歳前後の未来ある女性たちでした。
画像4 1976年(昭和51)当時の真岡郵便局本棟のカラー写真。1976年当時は、外国人が訪れることは禁止されていたので、このカラー写真は貴重である。
画像5 現在のサハリン島ホルムスク(元 真岡)市内。真岡郵便局は、写真右側の電柱がある場所にありました。
画像6 毎年8月20日、サハリン(樺太)と宗谷海峡を隔てて対峙する稚内市では、九人の乙女の慰霊祭が行われる。なぜ、彼女たちは、死なねばならなかったのか。現在もウクライナやロシアそして中東などでも戦いが行われている。そこでも若い女性や子供たち、年老いた人々が亡くなっている。もう終わりにすることはできないのか。人間は、そんなに愚かなのだろうか。彼女らの最後の言葉『皆さん これが最後です さようなら さようなら』。あまりにも悲しすぎる。

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